25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

子供の国、日本

2014年12月21日 | 社会・経済・政治
 一仕事終えたが、まだその仕事の興奮がやまぬままに、音楽CDを買いに名古屋まで車でとばした。例年、名古屋駅の高島屋ではクリスマス用の巨大な飾りを展示する。それを見て、目が楽しいおとぎ話の世界になってしまって、洋と和の違いを感じたのだった。
  村上春樹の小説はほとんどすべて読み終えたので、三省堂で何か、こころにひっかかるものはないかと思っていたところ、今年のノーベル文学賞作家であるフランスのパトリック・モディアノの翻訳版がずらりと書棚に並んでいた。そのタイトルを見たり、ペラペラめくってみたりしていたら、「よし今度はこの作家の作品を読もうという気になった。黄昏ていくフランス。このフランス人はどんなことを考えているのか、知りたくなった。

 ルンルンとした気分で家に帰り、翌日、朝日新聞を読むと、「大人になれない、日本人」という題で白井聡の意見が載っていた。僕が考えてきたことと、ほぼ同じ意見だった。でも今頃、と思ったのでもあった。「敗戦」を「終戦」と呼ぶことはまさに日本人が自身の力で戦争犯罪人を処罰できず、反省せず、天皇でさえいかない靖国神社に戦争犠牲者を祀ったりする。ドイツは戦後諸外国に謝罪をし続け、その反省の上に立って、現在ヨーロッパのリーダー的役割を果たしている。日本は国家意識の強い者が大きな声をあげ、人を殺すための武器輸出までするような国になってしまった。工場で働く人はどういう気持ちだろう。来年、安倍首相は河野談話に代わる新しい談話を出すということだ。
 隣国の行為を嫌がらせのようにとり、過剰に子供のように反応する。交渉で、大人の知恵で解決を図る潮流ができない。石原慎太郎などは最後まで子供で、「支那をやっつけることができなかったのが残念だった」とまで言って嘆く始末である。
 東京駅100年記念SUICA カードにはJRのものに、八つ当たりのように反発するのに、原発や集団的自衛権やらには八当たりはしない。
 今週号の「週刊新潮」では経済学者たちはこぞって、日本は破綻すると言っていた。だれ一人反対する人はいないのは当然のことだ。
 1000兆円を超える借金をどうやって返せるというのだろう。この低成長期に重ねてしまった政治のツケがこれから10年~20年
に国民を犠牲にして破綻が起きる。僕の子供や孫たちの世代が最も困難な時代をくぐり抜け、再生する日本にしていかなければならない。現在の老人や老人予備軍は選挙は好きでも、新しい時代を描くことはできず、こころはすでに衰弱しているように思う。

 世界の1%の人が富をもち、地球上の経済や社会に君臨するこの資本主義は富の再分配を図る当たらな政治の枠組みが必要である。累進課税の再検討も必要だろう。中央集権的な国家体制も組み替える必要がある。

 選挙が終わって、「財政」の問題を扱い始めた日本の新聞社やテレビ局も子供を相手に情報発信をしているようなものだし、マスメディアの代表が政治権力の代表と会食をするなどということも「わかっていない子供」だと思う。新聞は政治権力をチェックするのが仕事だ。また日本の銀行は、中学生でもできる仕事をしている。担保と保証人をチェックしさえすれば、お金を貸すことなんて中学生でもできるし、集めたお金で国債を買ったり、投資をしたり、政府の保証でお金を貸したりすることなど子供の範囲である。

 日本には民主主義はまだ定着しておらず、選挙は相変わらず、地縁、血縁、コネ、義理、人情がはびこっている。天皇制を批判すれば右翼に殺されるおそれもある。

 どうなっているのか、バブル崩壊後の日本。株高などに浮かれているととんでもないことになる。貧困層がますます増える。貯金がパーになってしまう。そういうことが分からぬ日本人は大人になっていないということだ。