良いことがあって、翌日、「おとと」へ言ったら「殻付きの牡蠣」があった。イガミもあったので、今晩は鍋にしようとそれを買った。さらに松坂のBOOK OFF までCDを買いにいこうと思い立ったのだった。目当ての「ブラームスのハンガリー舞曲1番」とモーツアルトのピアノ協奏曲20番があるかもしれないと思ったのである。たぶんないだろうと思っていたのが幸運にもあった。宝くじに当たったようなものだ。するとヤナーチェクの僕の持っていないものもあり、その他6枚ほどを買った。大ラッキーでこんな良い日はないと思ったのだった。
まず第一に「ハンガリー舞曲1番」を車の中で聴いた。もともとハンガリーにあった民謡のようなものをブラームスが編曲したらしい。出だしのすごいのである。ロマンチックで、頭とこころがメロディーで揺らされるのである。
シューマンの弟子だったブラームス。シューマンは精神病院で死ぬが、その妻クララをひそかにブラームスは好きだったらしい。ブラームスは生涯独身を通した。そしてロマン主義の最後の人だった。すでに音楽の世界は変わろうとしていた。ワグナーの登場である。ワグナーの新しい音楽の試みに猛反対して強固にロマン主義の音楽を徹底した。その徹底ぶりは、バック音楽などでは聞かさない、一度演奏が始まれば、聴衆を捉えて、よそ事を考えさせないほどのメロディと起伏があり、音楽は気楽ではないのである。
このところ、クラシック音楽にはまっている。学生時代にドビッシーやラベルの作品をよく聴いていた。一時マーラーを聴いたこともあった。しかし今度は古典から現代まで辿ってみたいと思うし、いろいろな作曲家の作品を聴いて、音楽の系譜のようなものを辿ってみたいと思うようになった。現代の音は何ゆえにこうであるのか、その積み重ねとはいかようであったのか。
おそらく次は指揮者は誰でとか、何オーケストラでとかとなっていくのだと思う。こういう趣味の人は世にはいっぱいいるのだろう。僕も10年ぐらい没頭していたらそれなりのウンチクをもつようになるのかもしれない。
村上春樹の作品については、どんどん読んでいる。読んでいなかった「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンスダンスダンス」「ねじまき鳥クロニクル」を読み、再読で、「ノルウェイの森」「国境の南、太陽の西」と続いている。たぶん、僕は作品を期待して読んでいるのではないと思う。言語の意味をさぐりながら読んでいる。村上春樹の優れた短編集はストーリーの展開とこころの有様の展開が糸が絡むように織られている。長編は総合小説と彼が言うように、サスペンスもエンタメも純文学も、冒険小説も、ファンタジーも漫画も音楽付きでごっそり混ぜている。長編ではおそらく「1Q84」は最高傑作のような気がする。
それにしても村上春樹は僕が思うに、ねじまき鳥クロニクルあたりでもう書く事もなくなりそうであった。彼がさらに長編を意欲的に書き続けることができたのは偶然に起こった阪神淡路大震災とオーム真理教事件であった。そしてそれらの事件のことを小説化していくまでに彼は、「アンダーグランド」と「約束された場所で」というノンフィクションを書いた。日本に戻ってきて、日本人と関わりを持ち始めたのである。それがなければ「1Q84」は生まれていなかったと思う。
その夜僕は知り合いの店が火事で燃える夢を見た。
まず第一に「ハンガリー舞曲1番」を車の中で聴いた。もともとハンガリーにあった民謡のようなものをブラームスが編曲したらしい。出だしのすごいのである。ロマンチックで、頭とこころがメロディーで揺らされるのである。
シューマンの弟子だったブラームス。シューマンは精神病院で死ぬが、その妻クララをひそかにブラームスは好きだったらしい。ブラームスは生涯独身を通した。そしてロマン主義の最後の人だった。すでに音楽の世界は変わろうとしていた。ワグナーの登場である。ワグナーの新しい音楽の試みに猛反対して強固にロマン主義の音楽を徹底した。その徹底ぶりは、バック音楽などでは聞かさない、一度演奏が始まれば、聴衆を捉えて、よそ事を考えさせないほどのメロディと起伏があり、音楽は気楽ではないのである。
このところ、クラシック音楽にはまっている。学生時代にドビッシーやラベルの作品をよく聴いていた。一時マーラーを聴いたこともあった。しかし今度は古典から現代まで辿ってみたいと思うし、いろいろな作曲家の作品を聴いて、音楽の系譜のようなものを辿ってみたいと思うようになった。現代の音は何ゆえにこうであるのか、その積み重ねとはいかようであったのか。
おそらく次は指揮者は誰でとか、何オーケストラでとかとなっていくのだと思う。こういう趣味の人は世にはいっぱいいるのだろう。僕も10年ぐらい没頭していたらそれなりのウンチクをもつようになるのかもしれない。
村上春樹の作品については、どんどん読んでいる。読んでいなかった「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンスダンスダンス」「ねじまき鳥クロニクル」を読み、再読で、「ノルウェイの森」「国境の南、太陽の西」と続いている。たぶん、僕は作品を期待して読んでいるのではないと思う。言語の意味をさぐりながら読んでいる。村上春樹の優れた短編集はストーリーの展開とこころの有様の展開が糸が絡むように織られている。長編は総合小説と彼が言うように、サスペンスもエンタメも純文学も、冒険小説も、ファンタジーも漫画も音楽付きでごっそり混ぜている。長編ではおそらく「1Q84」は最高傑作のような気がする。
それにしても村上春樹は僕が思うに、ねじまき鳥クロニクルあたりでもう書く事もなくなりそうであった。彼がさらに長編を意欲的に書き続けることができたのは偶然に起こった阪神淡路大震災とオーム真理教事件であった。そしてそれらの事件のことを小説化していくまでに彼は、「アンダーグランド」と「約束された場所で」というノンフィクションを書いた。日本に戻ってきて、日本人と関わりを持ち始めたのである。それがなければ「1Q84」は生まれていなかったと思う。
その夜僕は知り合いの店が火事で燃える夢を見た。