25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

討論会

2016年01月02日 | 日記

  テレビを意識的にみている自分であるが、正月は退屈になる。「朝まで生テレビ」も相変わらずで、若者の討論番組「日本のジレンマ」もこれという意見が聞かれない。

成長しなくてもいいんですか、という質問に共産党も民主党も「成長は必要だと思っている」と答える。本当に成長は必要なのだろうか。僕は「維持することと、教育、子育て支援への再配分が必要だと思っている」高度経済成長期は戦後の荒れた状況からの成長で、いわば当然であるとも言える。勿論、軍事をアメリカに委ね、経済活動だけに専念できるようにした政策も寄与しているかもしれない。だが、インフラの整備からして、成長するのは当然であった。そして、今はだれもがテレビやエアコン、冷蔵庫などを持ち、スマホを持っている。着るものも贅沢さえしなければ安いものを買うことができる。

  人口もいまのイギリスくらいの規模がいいのではないかと思う。

 若い人たちは他人に通じない言葉を使う。優先順位をトリアージとという。人工知能といえばよいのに、AIと言葉を使う。また古市という若者の司会が下手すきる。NHK ということもあるのか、激論にならない。若者はなぜ、政府に子ども手当を1000万円だせ、といわないのだろう、とも思う。

 東京オリンピックが本当に必要なのか。そのとき、地方のビジネスマンは東京出張をどうすればよいのか。だれも意見提案がない。1000年に一度といわれる東北大震災で、さらに高い堤防や高台移転などは本当に必要なのだろうか。

  福島原子力発電所は本当にアンダーコントロール(と安倍首相がいった)されているのだろうか。

 20世紀の残された映像資料をみると、大量の虐殺と、空前の戦争死があり、空前の餓死があった。混乱時には必ず独裁者がでてきた。ソビエトでは2000万人もの飢餓状態の人がいるというもに、西側は救わなかった。第二次世界対戦が終わったというのに、朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、ソビエト崩壊で、セルビアやクロアチアの再戦争があり、中東戦争があった。カンボジアだけでも500万人が虐殺された。

21世紀になると、アメリカのちょっかいがISをつくることになり、テロが分散化した。終わりのない戦争になっている。いよいよ、これまでの価値観が本当のものだったのか試されようとしている。 奇縁があれば人間は残酷に死に、残酷に人を殺すものだ。人はいつそうなってしまうかわからない。まだこの問題は解決の手掛かりはみつかっているが、実行には意識化されていない。

NHKの解説委員による討論会が年末にあった。さすがに分野別の知識が多く、意外と現在の政権に厳しかった。今ある問題もとてもよく整理されていた。未来の幾つかの方向性もよくわかるようなきがした。大人の論議であった。