25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

SNSの退潮

2016年01月05日 | 社会・経済・政治

 正月も過ぎてまた通常ののんびりした生活に戻った。

 SNSはヨーロッパやアメリカでは退潮だという。日本では東北大震災があったことことからSNSは退潮しなかったという。僕はフェイスブックには加入しているが、使ったことがない。フェイスブックから連絡がきて、開けてみると、内容はほぼ模倣であり、民度の低さが感じられる。平板な、没個性のものばかりくる。「食べたものの写真」「行ったところの風景」 まあ、つまらん。退潮していくのがわかるような気がする。それで、どうしているかというと、そこから引き上げる、ブログでやっていく。あるいは実際に勉強会とか行動の会みたいなものを作り、コミュニケーションを見える形にしていく。

 スマートフォンの画面から目が離せない人たちがいる。一種の依存性である。常に頭をぼんやりさせることをせず、何かを求めている。頭は退屈なときがあっていいのに、それのほうがうまく考えることができるのに、なにもすることがない時間をず、イライラとしてスマートフォンを手にする。

 1995年に放映されたNHKの「映像の世紀 リマスター版 11集」を全部録画して見た。20世紀の始まりからの映像である。初めての映像が発見されて、数々の貴重な映像が出てきたのをNHKとアメリカのABCが制作したものである。1900年にはアメリカは摩天楼のビルを建て始めた。第一次世界大戦では武器や車両を輸出してアメリカの大企業は稼ぎに稼いだ。大統領の意見も彼ら富豪の反対があればものが言えなかった。しかし、戦争の後半になってアメリカは参戦した。漁夫の利を得るようなものであった。1920年代になると日本の1980年くらいの様相になっているのがわかる。女性は大胆になり、酒を飲み、主婦は数々の電化製品で家事労働から開放されていった。こぞって美味しいものを求めた。ブロードウェイができ、ミュージカルが盛んとなり、ジャズも全盛期を迎えていた。人々はチャールストンを踊り、浮かれに浮かれたバブル景気に沸いた。その陰では差別、格差が下敷きになっていた。

 一方ドイツはあまりにも多額の賠償金で苦しみ、パンひとつが1兆マルクにもなった。ユダ人との格差も広がっていた。第一次世界大戦後の復興はなかなか思うようにいかず、特に民主主義国家は回復が遅かった。そしてついに民主主義が合法的に独裁家し者を選んだ。ヒトラーである。ヒトラーはわずか6年で雇用を回復し、経済を発展させた。そして領土拡張、アーリア人の優秀さを唱え、ドイツ帝国を拡張し、ヨーロッパを統一しようとした。

 その頃、アメリカは大恐慌が起こっていた。他のヨーロッパ各国も復興につまずいた。日本は中国に侵攻した。

 イギリスは徹底して戦った。 やがてアメリカは恐慌を克服し、また西側ヨーロッパの支援に入り、日本とも戦争になった。

  第二次世大戦はヨーロッパを中心とし、東アジアのの戦争であった。その時に中東やアフリカは問題を残したまま分割されてしまった。

   第三次世界大戦が起こり得る問題を引きずったままで、今日に至っている。日本はどの道を進むのかしっかり考えなくてはならない事態がくるのかもしれない。スマートフォンはまさに、「戦争拒否」につかわれるのか、頭の退屈をまぎらわすに終わるのか、ぼくらはよくよく考える場面をむかえるかもしれない。

  ぼくらは中東に介入してはいけない。後方支援でさえいけない。支援ならば自国の自立と自律で、戦争のあとであると思う。SNSはどうするのか。食べたものや、見たものの写真をのせて喜んでいる人たちばかりで充ちているこのSNSの社会に、ぼくは不安感ももつ。期待感ももつ。権力はこれを利用してかかるのは目に見えているから。