25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

現在の興味

2016年01月09日 | 日記

 新書版を数冊買った。順番に読んでいく。ひとつは、鼎談「戦争する国の道(宮台真司、小林よしのり、東浩紀)」、「イスラム戦争(内藤正典)」、「臓器の時間(伊藤裕)、「ボケる、ボケないは「腸」と「水」(藤田紘一郎)」、「縄文人からの伝言(岡村道雄)」、「日本人になった祖先たち(篠田謙一)」、「日本列島人の歴史(斎藤成也)」

 人類が民族や宗教をこえたところで、平和に暮らす理念として、「共産主義」であり、一方では「自由と平等と博愛」の「自由主義・資本主義」であった。

 この2つの理念は「戦争」を越えられないものであった。戦争を越えるには、相互理解、相互扶助、戦争の放棄という理念が加わらなけれならない。

 別の側面では「戦力の無力化」も考えられる。例えば、ミサイルが飛んできて100%打ち落とせる、あるいは、Dr.中松の発明のようなミサイルがユーターンしてしまうような技術の開発である。

  ぼくはそのような技術には疎いから、人類の歴史にずっと関心を寄せてきた。民族という概念を崩すのは、民族の成立の歴史を遡っていくしかない。国会議員が「皇紀2676年」などと愚かなことを言うものに、日本列島人は2676年よりもさらに2万年以上前から生きてきたことが詳細に解れば、2676年は無化されるにちがいない。現在ではDNAから解明し、我々の祖先がわかるようになっている。遺跡からでも縄文時代の様相がわかってきている。

  そういう関心から上記の本を選んだ理由である。「臓器」と「脳」についても同様で、人間の「個体」の研究はどこまで進んでいるのか。心と体のズレを考え、それが世界につながっていく理念となり得るのではないか、と思い、「贈与経済」にもなりえると思うからだ。iPS細胞はまさに「贈与経済」の先駆である。贈与経済というのは、いわば、「物々交換」と考えればよい。技術と労働、たとえば農産物や資源は交換可能のように思える。

というようなわけで読んでいる。時々、読むものが見あたら無いときがある。それが今あるものだから、助かっている。