25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

相撲小説

2016年01月26日 | 日記

 孫が相撲取りになったと空想して、相撲小説を書いている。純文学系を10作品書いたので、次に何を書こうかとあれこれ考えていたら、相撲についてはどうしても書いておきたい、しかも老人小説と青春小説を兼ね合わせたいという気になって昨日から書き始めた。もちろん、ぼくの空想なのだから、調査などはしない。知っていることの範囲で書くのである。現在の相撲の取り口を見れば、だいたいがどんな稽古をしているのか、検討もつくというものだ。

 やはり琴奨菊は「体幹トレーニング」をやっていた。それにメンタルトレーニングもしていた。怪我をそれで克服しつつある。膝と胸骨が完治したら、もっと違ってくるように思えるが、来場所は対戦相手ももっと研究してくることだろう。今場所は横への揺さぶりにも対応できるようになっていた。重心を崩すことも、豊ノ島戦だけであった。豊ノ島の土俵際の上手さの方を褒めるべきかもしれない。

 琴奨菊の心理学と体幹トレーニングと栄養学は、31歳の彼をどこまで変えられるのだろうか、と注目している。がぶり寄りという技しかないのだから、どこまで倒れずに押し進むことができるか、来場所も通じるか、ということになるだろう。

 大相撲の解説でおもしろいのは貫禄で粋な北の富士であるが取り組み解説で抜きん出ているのは元琴錦である。こうしたからこうなった、という取り口の順序と失敗の原因や勝利の原因、その過程をつぶさに説明してみせる。これは見事だと常々思っているので、琴錦の解説だけは録画しておいた。参考にしようと思う。

 小説は一日4時間くらい書く。土曜、日曜は休む。頭の中でグツグツ煮るようにして休みを過ごす。人に会うこともそうないが、65年間を慰めていると言ったほうがいいかもしれない。ようやくそんな日々がきたのだ。