25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

小沢一郎のこと

2016年01月27日 | 社会・経済・政治

  メガネが合わないのか、目にどこか異常があるのか、テレビの文字がやや見えにくくなっている。

  昨晩は夢ばかりみているようで、熟睡したように思えず、目の周りの筋肉も緩んで垂れているような気がする。失礼ながら、昨日「小沢一郎」が語るのを見ていて、彼の顔はすでに妖怪のようになっているのをみて、ぼくもそうなっているのではないか、と心配した。これは小沢一郎をけなしているんではない。むしろ、政治家の中では一番まともなことを言っているし、第一、テレビ局と新聞社を切り離す、という彼の持論や、記者クラブの閉鎖性は一種の既得権益だと常日頃から僕も思っているので、彼の意見に概ね賛成している。日本人の性急さや、自己責任意識のなさを時に言及するときもあるが、その意見にも僕は同感している。

 マスコミを敵にする限りなく、よほどのことでもない限り、彼が政治の表舞台にはでてこれないだろう。しかし、共産党を説き伏せるんlも、野党の結集を図ることも彼にしかできないことのように思える。フランスでは極右政党が支持を伸ばしてきたために、左派はわざと右派に票を投じ、極右の排外主義的な政党を抑え込んだ。政治というのは、ある時には、ひとつの問題にたいして連合を組むことも必要だろう。

 これまで、自民党政権を支えてきたもは共産党だとも言えるわけで、この共産党と幾つかのイシューで野党が連合できれば、政権交代もおこりえるはずである。

 こういう考え方にも僕は概ね賛成する。自らの力で民主主義を勝ち取ったことのない日本国民には、まだ民主主義が根付いていないように僕には思われる。ヘイトスピーチを平気でするものから、選挙の投票の仕方まで、自分で考えるとくことを放棄しているし、なんでも政府にやってくれ、これは国の仕事だと、平気で言うのも、まだ過去の時代からひきづったものが意識に潜んでいる。口では民主主義と言いながら。

  こういう話と僕の目の話は  まるで関係はないが、僕の脳の働きのプロセスでは繋がっているのである。残念なことよ、小沢一郎。僕も歳をとったが、あなたもずっと歳をとった。最後のひと頑張りを見せてくれ。