三連休と言っても別段特別にすることもなく、裏庭の枯れ葉と不要な段ボール箱を燃やしてじっと火を見た。風もなく、外気は冬らしく冷たい。昨日あたりまで温かな日が続いていたので、まだ1月の11日だというのに、庭の白い綿のように見える木蓮の花がひとつ咲きかけ、この二、三日の冷たさで、じっと身を屈めているようである。精一杯咲けないのだろう。枯れ葉の下には虫がいて、手をのばすとゆっくり逃げる。
今年はインフルエンザの流行をまだ聞かない。
「イスラム戦争」を読み終えて、自分はイスラムのことや、ユダヤ教のことなどほとんど知らず、西欧から伝わってくるニュースのみで知るぐらいである。ユダヤ教では世界の終末を迎えて初めてユダヤ人の国ができる、と信じられている。なるほどユダヤ人はなぜ、国家をもたず、方々に散らばっていた理由もしることとなった。するとイスラエルというのは何だろう。やはりヒトラーによる迫害、虐殺がよほどこたえたにちがいない。
イスラエルが建国された時に、イギリスは、入植の人数を制限して、イスラエルに到着した人々をまたヨーロッパに帰した。
ぼくはロンドンにいた若い一年、ユダヤの女子学生と仲良くしたが、彼女の父や母はそんな体験をしていたかも、しれない。彼女はよく、本をくれた。マルシア・ガルケスの「百年の孤独」を読めという。The heart is lonely hunter を読めという。楽しい映画は楽しんでワクワクしながら見るものよ、といい、ぼくにいろいろな映画に誘ってくれた。そのなかに、「007シリーズ」 も「 2001年宇宙の旅」や「Don't look now」もあった。 僕は無知だったため、彼女のルーツや家族の歴史に何の関心も寄せず、ただ恋をして、詩を書いて、歩いて、地下鉄に乗るくらいだった。僕が大金持ちなら、今彼女がどこにいるのか探す新聞広告を載せるのに、と思う。彼女は寮住まいだったので自宅の住所も電話番号も知らなかった。
ぼんやりと焚き火の炎を見ながら、記憶が感情を伴って、次々と現れる。そして問うてみる。その体験は他の人にも通じる意味と感情を持つものかと。そこ個人の物語の芯となるものは何なんだろう、と考えてみる。意味もないことなのだが。