ヨーロッパではキリスト教の衰退が激しいらしい。アメリカはプロテスタントの国であるが、ヨーロッパほどではないにしても、減少傾向にある。世界的カトリック教会の衰退が一番激しいのだが、プロテスタントも福音派が頑張っているが、減少している。
日本では新宗教の衰退が著しい。立正佼成会、霊友会、PL教団、創価学会、天理教、どれも激減している。世俗化も激しいのだろう。経済成長期に信徒数を増やしたが、一億総中流社会と呼ばれるようになってから、減少し始めている。
イスラム教もまた経済が安定していったら世俗化していくのだろう。日本では神道も仏教も世俗の極みである。しかし人々は適当に、慣習的に神道とも仏教とも付き合っている。
僕などは「無神」と言おうか、「信心がない」と言おうか、宗教心がないので、今ヨーロッパで起きていることは、どういう意味をもつのか想像しがたい。イスラム教徒が2030年には10%になるという予測がヨーロッパの危機感になっているのかも知れない。
どうやら宗教は経済の成長期に起こる格差の精神的な穴埋めの役割を担うものだと言えるのかも知れない。今の創価学会は「折伏」をあまりしなくなった。「エホバの証人」だけが家々を訪問しているのを見るだけだ。
その点では日本では宗教対立や紛争はこれからも無いように思われる。
自然崇拝のようなもの、自然のあらゆるものに神的なものを感じるという感性は生き残っていくよう気がする。
25年ほど前に読んだアメリカの小説「リトル トゥリー」はインデアンの男の子がお祖父さんから、自然と共存していくことを教わるとても優れた小説だった。しかし、それは宗教ではない。物の考え方のことだ。
世界はどうなっていくのだろうと思うと、当面、中東の問題を解決しなければならない。
まだまだの感があるが、第三次世界大戦だけは避けなければならない。