1996年に放映された「映像の世紀 デジタル・リマスター版」を全部見た。それで思うことがいくつかあった。
この残されたフィルムは市民が撮った動画、政府の宣伝映画、いろいろな角度から組み合わさって編集されている。
まず思ったのは歴史を文で書くより、圧倒的になまなましいものである。 高校の教科書では20世紀について書かれるのはせいぜい4,5ページであるが、1897年から始まった動画の記録は膨大であり、その4、5ページが映像で残っている。たいへんな価値だと思う。
20世紀はいわば虐殺と餓死と難民の歴史でもあった。戦争ということである。第一次世界大戦に始まり、戦争の形態が変わり、第二次世界大戦ではヨーロッパだけでも200万人が死んだ。悲惨である。アルメリア難民、ポーランド難民、ハンガイリー難民、ユダヤ難民、ロシア難民、セルビア難民、ベトナム難民。ロアシ2000万人の飢餓にも驚いた。ロシア革命以後の農業政策に失敗した犠牲者たちである。ヨーロッパは無視した。
民族というのはどうしてこうも対立し合うのか、個人幻想が共同幻想とどうして一致してしまうか。
アメリカはベトナム戦争以来、ばかばっかりやっている。判断を誤っている。
ベトナムを作戦本部があるからと言ってカンボジアに入り込む。やがてポルポトを生む。
アルカイダを匿ったといって、タリバン政権を壊す。独裁政治をやり、国民を弾圧し、大量破壊兵器を持っているから、アルカイドとつながっているからと言って、話し合いもせず攻撃を仕掛ける。そしてISを生む。
日々テレビで映し出される映像にはIS側から、あるいはISの支配する地域に住む一般の人から、あるいはシリアやイラクの日常から撮った映像は提供されない。ジャーナリズムはどうなっているんだと思ってしまう。
なんとも 世界は悪くなっていくばかりの20世紀であった。まだ民族闘争は続くのだろう。そこに宗教だけは絡ませないようにしてほしいものだ。互の宗教に寛容になれて人類は一歩前進する。また異なる民族を越えて理解し合うところで人類は一歩前進する。
日本はゆめゆめ中東に介入してはならない。