25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ドーダ

2019年07月18日 | 社会・経済・政治
ブログの校正がようやく2008年になった。毎日一時間ほどの校正作業で削除、付け足しもする。この頃のヤプログはツイッターとも連動し始めて、保存してくれている文が途中で切れていて保存されたいないものが多い。毎日でもちょっとずつでもやっていれば進んでいくものだと実感する。こんな文を書いていた。

 「ドーダの近代史」の内容をもう少し紹介したい。(「ドーダ というのはオレは東大でてるんだぞ、ドーダ」のドーダである)
 中江兆民(幕末から明治にフランス語学者)の「一年有半」(岩波文庫)で、
「山縣、松方、西郷(従道)などは書いても筆を汚すぐらいで、伊藤以下は皆死んでしまい、一日早く死んでしまえば、一日国家の益になる(要約)」 と激烈である。

 と中江兆民が書いたことを上記のようにメモしている。それで今日はそれにつけ足しをした。
 
 ここまで言ってしまう男がいたのか。
 こういう言葉は一種の比喩でそれぞれの名に現在の政治家の名を入れ替えてみればよいようになっている。

 話題を変えて、
 世襲の政治家であふれる日本の議員。タイミングの悪い韓国への「経済制裁措置」と不要な政治的発言。選挙区での世襲議員小泉進次郎の不可解な人気。日本国民の平均的政治意識。積立方式で始まった年金。「払う日はまだうんと先だから使ってしまえ。なくなれば賦課方式にすればいいんだから」と当時の官僚が言っていた。グルーンピアの大失敗。贅沢を尽くしたオーバースペックの建物。そんな年金機構が株を運用していいのか、と心配になる。彼ら官僚にはお金(税金)の感覚が違う。自分のものでもないのに、自分のもののように使う。そんな奴は一日早く死んでしまえば、一日国家の益になる。世襲政治家も同じ。
 

ロシア人の客 

2019年07月17日 | 旅行
 酒を飲むのにやはり水も脇に置いて飲まないといけない。たとえビールでもそういう気がする。飲んでいるのはアルコールである。肝臓や腎臓に助っ人の水を供給しないといけないと思う。昨晩はよく飲んで、よく食べた。それで水を時々飲むのを忘れていたら、酔いもきつく、家に帰ってからまず水を2杯飲み、録画してあった「大相撲」を見ながら「あくび」をして何度も酸素を取り込み、あくびを無理やりだすこともできなくなるまでやったら、ちょうど録画したテレビ2時間が終わった。これでしっかり寝れば、朝の辛さはずいぶん減るだろうと思った。が、翌朝そうはいかなかった。からだがしんどい。深酒の翌日でも夕方になると元の体調に戻っていて、また酒を飲んでしまう。

 昨日は公民館で「よもやま話の会」があり、それに出席し、ロシア人の若者4人が貸別荘に宿泊するので、要領を得ないだろうから、と買い物まで付き添った。なにせ、尾鷲から八鬼山を超え、三木里に入って泊まり、また翌日三木里から賀田まで熊野古道を歩き、そして曽根まで歩いたのだった。14歳の女子、16歳の男子、45歳の男子、ぼくとの連絡役をとったアナという31歳の女子。アナは18歳にしか見えない。小柄な超美人だった。香港に移住して今度は香港から日本に移住したのだそうだ。失礼なような気がして根ほり葉ほり聞けない。
 香港にいたから英語ができた。だからスムースにコミュニケーションがうまく行った。

 熊野古道は美しい、と何度も言っていた。以前オーストラリアからパトリシア夫妻が来たときも熊野古道は素晴らしいと連発していた。アンはハバロフスクの出身。パトリシアはカンガルー島。そりゃあ、そうだろう。ハバロフスクは広いだけだ。近代西洋の都市である。カンガルーも渓谷のあるような島ではない。
 熊野古道は大昔の歩くだけの生活道路である。石畳があり、休息する場所があり、ときに美しい海の風景も出てくる。古道の両脇は樹木が生い茂っている。巡礼だと言っていた。若いのになんとも、好奇心からか、巡礼心というものがあるとすれば、何に対する?などと話しを聞きたかったがぼくの役目は買い物の付き添い、釣り用の仕掛けと餌の助言だったので、時間もなかった。
 久しぶりに英語を喋ったので、頭が少々疲れた。その上に酒だった。岡田さんは変わらず元気であり、気迫が前に出ている。

フェデラー vs ジョコビッチ

2019年07月15日 | テレビ
 夜の10時からウィンブルドン男子決勝があり、たいへんな接戦に寝ることもできず、終わったのは午前3時を過ぎていた。しかたない。試合が良すぎた。めったに見れないものだ。特別な日としよう。フェデラーが優勢に見えるのにいつの間にかジョコビッチが勝っている。最後のセットは最終の12ゲームまでいき、タイブレイクっとなった。ジョコビッチはデビューの頃、体力がなくバテていたらしいが、小麦が体に合っていないこともわかり、栄養の管理もして、バテない体力つくりをしたらしい。
 ジョコビッチ32歳。フェデラー37歳。このくらいの経験と技術の持ち主になると、どんな練習をするのだろう。レスリングの吉田沙保里は白鵬と話をしていて、吉田は30も過ぎると稽古の質だ、と言って、白鵬もひどく納得していたらしい。ある境地での稽古というものがあるのだろうか。
 体調に関する感度はこころでどう処理するのだろう。
 走って打っても姿勢は崩れない。体幹の深層筋はしっかりしている。どちらも筋肉隆々ではない。試合中表情を滅多に変えないが、ここぞというときにギアチェンジするのが勢いでよくわかる。
 あれこれ思いながら見ていて、久しぶり興奮した。
 

いつまで続く国の借金

2019年07月14日 | 社会・経済・政治
 国の借金は国民の資産だ、もっと借金を増やして経済に活を入れろ、という意見がある。国の借金は国民の資産だということをわかりやすく言うと国はどこから借金をするかと言えば、国民であり、国民で構成する企業が元にあり、それを銀行が預かり、その銀行の預り金を日銀が買い取るという循環なのだから、借金はまた資産として国民・企業に戻ってくるというわけだ。そうなると、なるほどそうか、と思ってしまうのではないか。これは詭弁である。
 国民は国にお金を貸しているのだ。これも詭弁である。
 なぜなら国民は貯金を担保にとられている、とも言えるからだ。

 日本の借金は1100兆円となり、国民の貯蓄は1700兆円。この論理で行けば永久に借金をすれば資産が増え、全く財政は心配なしである。日銀が供給する貨幣は、1990年の国内総生産(GDP)は450兆円だった。しかし年初のマネタリーベース(通貨供給量)は39兆円台に過ぎなかった。2016年にはマネタリーベースは400兆円となり、GDPは500兆円程度である。39兆円で回していたのがいつのまにか、400兆越となった。異次元の金融緩和が原因であり、そのまた原因デフレからの脱却があった。年に2%物価が上がれば、政府の借金は2%減るはずだった。当然国民の貯金は2%減るはずだった。
 1100兆円、さらに膨らむ借金はどうなるのか。督促状を書く人は誰なのか。担保を抜いて欲しいと誰が言えるのか。

 絵を描いたように物事は上手くいかないこともある。
 株価を上げて輸出企業は一息ついた。一息ついたお金を内部留保した。賃上げをする大企業もあったが、多くの中小企業はできない。終身雇用制度も崩れてきた。企業は正社員と非正規社員を使い分けし始めた。
 日銀は政府の国債を買い続けている。お金はどんどん世の中に回っているはずだけれど、使うわれず、日銀眠っている。なのに、貧乏な20代-40代の人たちが40数パーセントいる。
 国の借金が国民のプラス面の資産であればよいが、実は国民は国にお金を貸しているということだったら、返してくれないとえらいことになる。国民は返してくれるだろうと思っている。sるいは担保を抜いてくれるだろうと思っている。だから国も毎年借金の分割返済をしているのだろう。本当は頬被りしたいことだろう。戦後、一度政府は開きなおって貯金封鎖をしたことがある。
 返せないから逆に国民のお金を奪いとるのと同じことをしたのだ。

 いつまで続けられるのか。自国貨幣をもつ国はいくら貨幣を刷っても大丈夫だなんてことはない。スーパーインフレになる。財布に札束が入らなくなる。国は乱れ、治安が悪くなる。
 海外に400兆近くの債権があるのなら売ってしまえばいいではないか。国内に国の資産が高橋洋一が言うようにあるならば売って、予算に充てればいいではないか。
 
 希望がもてる国造りをしなければならない。決して贅沢をせずとも、普通であればよい。
 現在は、お金の供給量は1990年の10倍になっているのに、GDPは10倍にならず、貯金ゼロが増えているにはお金の流れがイビツである。


世襲政治家

2019年07月13日 | 社会・経済・政治
 政治の世襲はダメだと思う。職人や芸能人の世襲とはわけが違う。国のあり方を決めていくのである。合格は選挙で決められる。後援会を継ぎ、事務所の資金を継ぎ、党員を継ぐ。これでは志をもち、あわせて才能をももつものの台頭が世襲によって阻まれることになり得る。小泉進次郎のどこが優れているのか、麻生太郎のどこが能力があるのかちっともわからない。
 
 生徒会では世襲はない。つまりまともである。自由・平等・人権、それに民主主義選挙においてまともである。18歳になって選挙権を行使するとき、まず戸惑うのは、18歳以上の世界はまともではないということを知ることである。がしかし大勢がそれはいけないことだと言わない。世襲で選挙に勝ったもの恥ずかしい顔をせず、どうどうとしている。この姿が日本国である。地方の隅々にまで世襲のネットワークがある。

 世襲政治が続く限り、大改革はできない。予算を作るにも、新しい産業を生み出すにも、制度を廃止するにせよ、新制度をつくるにせよ、敢行はできない。日本はこの30年でしなければならないことをしてこなかった。
 政治家に才あるものはなく、企業のトップに生み出す力がない。
 
 生み出す力がないというのは才あるものの頭が理解できない。でしゃばらず、凡庸な者が社長になるという緩い慣習がある。

 世襲政治家への規制が必要に思える。せめて事務所資金の継承と選挙区の継承はできない、とんsらなければ公平ではない。

文学

2019年07月12日 | 文学 思想
 今月号の「文學界」には村上春樹の短編小説2編と、川上未映子へのインタビューがあったことと、近頃の文学の世界はどうなっているのか、と思い購入した。
 買っておきながらウィンブルドンでの錦織圭の試合があり、映画「太平洋の奇跡」を観たり、さっさと酔っぱらってしまったりで、雑誌の1ページも読めていない。昼読むと必ず眠くなる。困ったものだ。今夜こそ読もうと自分にカツを入れているところである。

 50年後も読まれる作品。村上春樹の「1Q84」が思い浮かぶ。三島由紀夫の「豊穣の海」も浮かぶが、ちょっとちがうか、と思う。中上健次の「千年の愉楽」は頷く。
 50年後も生き残る作家となると、森鴎外はあと10年耐えられるだろうか。太宰治は百年後も読まれるに違いない。夏目漱石はたいへんなものだと思う。「続明暗」を書く作家がでるほどである。また「明暗」はごく平凡な男と女、その周囲にいる数人とのあれこれで物語が進むのである。ただ主人公は密かに思っていることがある。元婚約者がなぜ、突然に婚約を破棄したのかわからない。その心思いが物語を引っ張っていく。漱石のテーマの選び方と読ませていく力量である。
 この点では、三島由紀夫の「豊穣の海」の「暁の寺」は難し過ぎるように思う。つまり過剰に知識的であり、観念的である。この小説を多くの人が解る日が来るのかも知れない。
 難しいところだ。人間にはわからない脳があるということは確かだし、自分の脳でしか想像も理解も相手に対してできないだから。   

 
 
 

サービス産業

2019年07月12日 | 社会・経済・政治
 サービスを事業としている会社の方からメールなどいただくと、「榎本様」が「榎本さん」と表記したときには「失礼しました。お名前の表記を間違いました。失礼のほどお許しください」などと返事が来る。
 ジャニー喜多川が仲間うちで「You」と呼んでいるのは「全員の名前と顔が覚えられない」こともあるのだろうが、You はとても公平で、平等でもあるからだと思う。

 日本列島人はもってしまった言語ゆえに、「様」と「さん」さえ気をつけなければいけない世界で仕事をしているようだ。ぼくはざっくばらんでいいと思うが、クレーマーも多いのだろうから、その些細な気配りが必要なのだろうが、こんなことでは身体を悪くしそうだ。

 サービス産業がすでに70%ほどを占めている日本社会であるのに、サービス産業の賃金は少ない。そしてクレームを受けるのもサービス産業が最前線である。

 マクドナルドで働く若いスタッフを見ていると、自分が若い頃を想像するととても能力の差を感じる。ぼくなどはせいぜい皿洗い程度だ。マックでは皿洗いもないだろうから、要するに務まらないと思う。外からの注文をヘッドフォーンで聞きながら、別の顧客の商品を整えているのである。こんな芸当もぼくにはできないような気がする。

 ところで、ラジオで聞いたのだが、20代、30代、40代で貯金ゼロの人が平均すると48%ほどになっていると聞いた。これはたいへんなことである。50%を超えると不満が高くなってくるだろうし、犯罪も増えてくることだろう。50%を超えれば社会不安である。
 なぜそうなったか。理由は簡単である。安倍政権は株価を上げてお金持ちにヨイショしたものの、株を買っているのはアメリカやヨーロッパの人たちで70%を占めるのである。年金、日銀まで導入して株価操作をし、外国人に儲けられている。20代~40代にはワインはしたたり落ちてこないのである。アメリカ、ヨーロッパは日本の金融政策、財政政策は大歓迎だ。儲けさせてくれる金主元なのだから。
 だからかサービス業の最前線にいる人の賃金は上がらず、非正規雇用がまかり通る。
 と、こんな風な論理展開となる、あながち間違ってもいないだろう。

太平洋の奇跡

2019年07月11日 | 映画
 新書「日本軍の兵士」を読んでから、戦争を扱った本物に近い映画はないかと探していた。日本で作られる戦争物映画はどことなく、なじめない。特攻隊員のものでも、終戦時の会議にしても、これはもうまさに観客動員を意識した映画であり、映画に批判精神がない。

 Tsutayaで何か戦争物がないか結構コマメに探していたら「太平洋の奇跡」というDVDがあった。2011年の作品らしい。日米合作の映画かな、と思った。
サイパン陥落に反抗する軍の兵士。アメリカ軍を恐れる民間人。実話に基づいているということなのだ、ドキュメントを見る気で観たのだった。サイパン島では軍人も民間人もことごとく死んでいく。アメリカ人の大将は早く戦争を終わらせたい。日本軍兵士は上層部からの命令がない限り、投降する気はない。収用所に行けば殺されると思っている。軍人、民間人186人が残ったところで、民間人をアメリカ軍に渡す決意を軍の隊長がするのである。大場隊の隊長は竹野内豊が演じている。民間人には阿部サダオや井上真央もいる。入れ墨のある暴れ者の兵士を唐沢寿明が演じている。大場隊長はその頭の良さから「フォックス」と呼ばれている。
 大場隊は徹底抗戦の構えであるが、結局大場は敗戦を知り、本土の惨状をビラ写真で知り、日本軍の上官から命令があれば投降すると言い告げる。投降するときに行進して歌うのが、「歩兵の本領」という歌である。10番まであるらしい。

     歩兵の歌

   作詞:加藤 明勝(中幼10期)
   作曲:永井 建子

 万朶(ばんだ)の桜か襟(えり)の色
 花は吉野に嵐吹く
 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば
 散兵戦(さんぺいせん)の花と散れ

 尺余(しゃくよ)の銃(つつ)は武器ならず
 寸余(すんよ)の剣(つるぎ)何かせん
 知らずやここに二千年
 鍛えきたえし大和魂(やまとだま)

 軍旗まもる武士(もののふ)は
 すべてその数二十万
 八十余ヶ所にたむろして
 武装は解かじ夢にだも


 こういう精神論が美しいものでもない。大衆の一人一人が徴集されて編成された大場隊である。映画では死を完全に覚悟している部隊であり、共同幻想に身を捧げる兵士である。愚かであるともいえるし、しかたなかったろう、とも、勇ましいとも言えるが、その精神が尊いものだとは思えない。尊いのは命である。大和魂などというのはない。
 戦後多くの人が戦争体験を語らず、黙り込んだような感があるが、言うべきことを言う人たちもいて、テープに残し、インタビューに答えることもしている。

 ぼくは、自衛隊員がこんな歌を歌ってほしくないと思う。決してホルムズ海峡には行ってほしくないと思う。精神が狂ってしまう。 
 
 




最終的な課題

2019年07月10日 | 社会・経済・政治
老後を安心して暮らせるというのは人間の最終的課題のひとつであり、極めて重要な課題である。月に20万円の年金があればほぼ言うことはないように思う。老後が不安かどうかは社会の質にかかわってくる。2050年。ぼくの息子は69歳。この時に年金はほぼないに等しいだろう。年金機構は株を買っている。株は上がったり下がったりする。それに額が大きいから株式市場に大きな影響を及ぼす。日銀の投資も同様だ。容易に引けなくなる。
 自民党政権は天下りの法人を作り、公共事業にお金を使い、大企業を優遇してきた。今、戦闘機やイージスアショアまで購入しているのに、年金のお金がないと言っている。年金機構はグリーンピアを作っては失敗した。だれが責任を取ったのかしれないが、この問題の解決方向を見出さない限り、不安な生活が続くことになる。<不安>というのは心身に一番悪い。不安が溜まっていくと病気を起こす。

 その最も不安であるはずの30代や40代からの大きな抗議が出てこない。今度の参議員選挙で現れるのだろうか。
 ぼくらの社会は昔から緩い社会、温和な社会なのだ。だからこそ、精神論も蔓延るのだ。パイロットにパラシュートをつけるべきところ、撃たれたら精神で飛べ、などと平気で太平洋戦争中には言っていたのだ。操縦できる人を生き残らすべきのところを、である。その精神論の最高人者は東条英機だった。
 日本列島人は「戦争反対」を言えなかった。みなおとなしく従い、戦地で多くがマラリアや赤痢や餓死で死んだ。戦後、敵国であったアメリカにも従順だった。そして、
 緩さの本領を発揮した70年だった、
 日本列島人は朝鮮半島に近い福岡離れ、さら東向かい奈良を拠点とし、ついで京都盆地を本拠地とした。ここまで敵は来ないだろう、と考えた違いない。京都に奈良や城郭城郭がなかったことでもその緩さがわかる。ぼくにはこういう歴史を否定するつもりはないので、日本列島人の温和性を否定するつもりはない。かと言って平和ボケしているというつもりもない。
 すでにぼくらは学校教育を受け、世界の実情も日本の実情もわかる時代に生きている。生活の根本のところが不安になってくると、言うべきときには言う、主張する、権力に物申すこともしなけっればならない。とりあえずは選挙も一票しかない。
 

ウィンブルドン

2019年07月09日 | テレビ
 朝方は大雨だったのええ、午前中は事務所に出ず、家で昨晩録画しておいた錦織圭の四回戦を観た。ウィンブルドンは錦織の試合が終わる頃、小雨が降りだしたようだったが、雨に邪魔されることなく早々に勝ちを決めた。四回とも試合をみたが、とても快調だった。上手さを感じる。
 ぼくの印象としての錦織圭は筋肉痛で棄権とか、ハードな試合が続いてバテてしまうという記憶が強かった。
 今期ウィンブルドンでは、フランス大会の次のシリーズは休み、疲れもとり、ナダルらとよい練習をして臨んだようだ。三回戦までは早い時間で勝ち、四回戦で2時間50分ほどかかったが、4時間、5時間というものではない。サーブが以前よ比べてよくなっている。ファーストサーブで決める場面も多くなったが、セカンドサーブを恐れず深いところで跳ね上げる。これが有効だ。もうひとつある。サーブ&ボレイで特にネット近くでの反応である。どうやら相手がどこへ打ってくるのかわかるようだ。
 いよいよ、次はフェデラーである。ぼくは5分5分の力ではないかと思う。フェデラーに勝てばフランス大会で優勝したナダルである。そして決勝はジョコビッチとなるのだろう。どこまでいけるかわからないが運ひとつの感がある。世界のテニスをする人達の中で現在は空いて世界ランク7位。その1位から3位の選手と当たる位置にいるのである。アメリカにテニス留学をした。跳んでスウィングする若者が颯爽とデビューしてから11、12年になるのではないか。弱点、不得手なところ、もっとこうしたほうがよい、という工夫。悪い癖があれば矯正しなければならない。体力も、筋力もつけなければならない。よほどの努力をするのだろう。
 世界のあちこちにいる強いテニスプレヤーなどをドーンと超えているのである。今少し残念なのは卓球やバドミントン、バスケット、野球のように続々と若い選手が日本から出てこないことだ。
 中学で軟式テニスをやっているこの国の学校は変じゃないのか、と思うが、何か別の理由でもあるのだろうか。松岡修造、錦織圭に続く選手の登場を期待する。

想定外のことがまた起きた

2019年07月08日 | 文学 思想
人が多いと何が起こるかわからないものだ。どうして頑丈なガラスが割れたのか、どうやったら割れるのか、見当もつかない。これも想定外だ。しかも割れるような場所ではない。しかし「割ってしまった」と大学生から詫びが入った。

 前回は居間側の厚手のサッシの戸がすべらなくなった。これもどうしてそうなったのかわからない。共通して、人数が多いと「考えられないことが起こる」という事実だけである。今日はガラス屋さん兼サッシ屋さんに来てもらって修理をする。当然彼らに請求書を出す。

 人間の集団の数が多くなると何かが起こることはそれをさせる人間の何かがあるのだろう。以前にはリーダーの統率が取れない、と書いた。よく中学や高校の頃に廊下でじゃれ合うみたいなことをしていた。大学生も酒が入ると、じゃれ合うことをするのだろうかプロレスの技をかけてみたり、中学生のように戻ってしまうのだろうか。さすがぼくのような齢では飲めば座っているが。

 これを防ぐ方法を考えなければならない。この7月、8月、9月の間にきっと予期せぬことが起こる。一番の心配は火事だ。次の心配はすべってころんだとかの怪我だ。次は高価な電化製品を壊されることだ。去年はあらゆる障子を外され、元に戻せなくなった。障子は破られた。炊飯器が壊れた。

 それぞれの仕事の分野にはそれぞれ人間がやってしまう想定外のことがあるのだろう。人間から見て自然でさえも想定外のことをするのに、人間も想定外のことをするのも自然と言えば自然か。
 とりあえず、これまでの例を言って、注意を呼びかけよう、と思う。

 相撲が始まった。朝乃山は場所前忙しくて稽古不足だというのに、豪栄道を簡単に倒してしまった。遠藤よ、今場所はチャンスだぞ。初日の調子でいけよ。

The Listen Project

2019年07月06日 | 映画
 Marufukuさんからコメントをいただいた。感謝します。早速検索をした。すると山口智子の活動がよくわかる。「 Listen Project」。羨ましい力だ。

 ぼくも Episode として知っている情報を彼女に提供したいものだ。彼女は情報を求めていた。これは彼女のライフワークだ。
 
 バリ島に、「空で奏でる音楽」がある。ある村で代々この音楽をいわば指揮する男性がいる。何十羽という鳩に笛をつけて、空に飛ばすのである。鳩たちは大空に笛の音を奏でながら舞うのである。まるでフォーメーションダンスのようだ。最後は先祖代々の家の屋根にとまる。

 次に「神の楽器」と呼ばれる「ガンバン」という楽器の三重奏がある。観光旅行では聴けない。特別な日しか聴けないのである。乾いた音のする木琴であるが、確か一つの鍵盤で音階が微妙にズレ、三人の音によって音が融合するときに不思議な和音が空間で生まれる。

 次に口琴の合奏である。口琴はアイヌにも、アジアの各地にもあるようであるが、合奏をし、バリダンスを踊る。ビーン、ビーンと口に小さな楽器をあてて指で奏でるのである。

 最後は「ギナダ」。バリ島の中部にある湖で漁をする女性がゆっくりと網を投げて引き上げる。舟の上でその女性が歌う歌は労働歌である。歌声は湖面に響き、やがて天に吸収されるような声だ。日本列島では聞かない声である。伴奏もない。その情緒ある、切ない歌唱力にジンとくるのである。

 世界にはまさに山口智子がライフワークにするほどの民族の、そのまた村の音楽が、楽器があることだろう。民族音楽の研究家小泉文夫がやったことを現代の動画カメラと録音技術で収録する。山口智子はそのプロデューサーであり、脚本家でもある。たいした人だ。

 

宮本信子、山口智子

2019年07月06日 | テレビ
 伊丹十三の「たんぽぽ」がアメリカで上映されていて、アメリカ人男性のファンの一人が25回観た、と聞いて驚いた。細い糸のようにナイーブな神経をしてかつ完璧性格監督である。映画をつくるまでは鼻持ちならないインテリ俳優だと思っていたが、映画を作れば面白いものを作った。のく全部観たし、次回作も楽しみだった。「マルサの女」もよかった。特に本多俊之のテーマ音楽がよかった。彼を選んだのは伊丹十三であろうが、そのジャズっぽさが映像にシャレ気と展開の迫力を与えた。
「さわこの朝」でのインタビューで知ったのだが、宮本信子は一回り伊丹十三より年が下らしい。伊丹は先生のような存在であったようだ。賢い人なのだろう。伊丹十三を尊敬し、敬愛し、愛し、従い、否定もせず、彼の脆い性格よく知っていたのだろう。宮本信子は「伊丹十三記念館」の販売コーナーのグッズ作りをやっているらしい。
朝ドラの「あまちゃん」でも「ひよっこ」でも明るく賢い女性を演じている。

 朝ドラの「なつぞら」山口智子が出ている。山口智子へのインタビューも違う番組で観た。結婚後、ドラマが大ヒットして、その後急にテレビから消えた。新聞で山口智子の紀行文が優れている、という記事を読んだことがある。
 世界の民族音楽やそれに、関わる人々や地域を取材するドキュメンタリーのプロデュースをやているのだそうだ。今も続いてやっているらしい。フラメンコも再び習っているらしい。踊りたくなる曲が流れると素直に踊れる人になりたい、みたいなことを言っていた。そう言えば、日本列島人の多くは沖縄を除いて、型にない限り踊ることを恥ずかしがる。
 現在のところ、「なつぞら」では元ムーランルージュの踊り子で、今はおでんやのおっかさんをやっていて、とっても脇役である。そのうち一週は彼女に焦点が当たるストーリーになるのではないか。自分の趣味も徹底した専門家になろうとしている。貴重な映像のアルバムになることだろう。昔、ぼくも世界の隠れている音楽を発見し、録音しようと動き出したことがあったが、あわや、ニューヨークと、バリ島、とリスボンで終わってしまった。次はアイルランドだったが、これは陽の目を見なかった。ニューオリンズ、モロッコと予定を立てていたができなかった。
 山口智子はえらい。りっぱだ。で、彼女がプロデュースしている世界の音楽の旅はどこで見えるもだろう。知りたい。

カラオケスナック

2019年07月05日 | 日記
 年々尾鷲市内で食べにいくところ、飲みにいくところが減っている。次々と馴染みの店がなくなっていく。歌うことの好きなぼくは居心地のよいスナックが最近店を休んでいることに心を痛めている。どうしたものか。
 最近ウィスキーを節制している。ダイエット中なのである。やっぱり怖いには脂肪肝だと思っているので、また肝臓の解毒・分解能力限界が寿命の限界だと思っているので、大切にせにゃならん、と労る気持ちである。その意味ではスナックや居酒屋にいくのは体に負担となるから、変わっていく環境もこれでいいのかもしれない。
 しかし、今のところ、コーヒーを飲んでカラオケという気分にはならない。また昼日中からカラオケに行こうとは思っていない。

 現在、2008年のブログの推敲をやっている。2019年までまだまだ遠いが毎日ちょっとずつでもやっていると必ずや終わりがくる。おもしろいことに、1998年からの自分の推移もよくわかる。

 8月に入ったら英検3級用のリスニングテスト用の練習問題を書いていこうと思っている。100問題くらいだろう。つづいて準2級、最後に2級。語学教材出版社に呼び掛けようと思っている。尾鷲には前の会社のときの社員だった英語圏人が2人定住している。録音メンバーとしてやってもらえる。この半年は朝と昼の計4時間くらいはこれに使おうと思っている。
 ふと歌でも歌いたいと思ったとき、行ける店がないのは残念だが、また知らないどこかがみつかるかも知れない。

ガラパゴス化

2019年07月05日 | 社会・経済・政治
無事ソニーCDリピーターを落札した。これで事務所にある音源を再生できることになる。今、アプリを開発していることは小出しにしながら細君にも伝えている。
 昨日、ポツッと細君が「ガラパゴス化してなけりゃいいけど」。ギクッとした。

 よくバリ島に通っていた時期、バリ島では日本のNTTドコモなどの携帯電話は使われないのである。これだけ機能が豊富で便利だと思うが、みな「ノキア」の携帯を使う。とてもシンプルで料金をチャージすれば、どこにでも電話ができる。NTTのはできない。

 NTTのものは機能が多すぎて、バリ島の人にはそこまで必要がないのである。したがってこういうのを「ガラパゴス化」という。いいものであっても売れるわけではない。ぼくが目指している語学学習やカラオケ練習のアプリも現在すでにあるもので十分なのかもしれない。自分で「たいしたもんだろ」と思っているばかりで、もうNHKのものや、ボイスレコーダーについているもので上等だよ、と思うかもしれない。

 そう言われればそうだ。しばらく考えた。長い歳月をかけて地味に使われていってくれればいいくらいに考え、戦略を立てないと。

 いいものが売れずに埋没していく例をいくつも知っている。22年前ドローンの始まりみたいなのを作った四日市だったか桑名だったかの男性はどうしていることだろう。彼は空飛ぶドローンのようなもので農薬を撒くのに開発して新技術創造法に認定された。その会社が今も存在し、ドローンに発展していったのか知らない。当時は売れなかったという記憶がある。

 埋もれてしまっているアイデアや商品はいっぱいあって、お宝再発見みたいなテレビ番組やポータルサイトなどがあればいいのかもしれない。きっといっぱい出てくると思う。