エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

三希堂にて

2010年01月21日 | 旅行
三希堂という喫茶部で、お茶を飲んだ。
ここは台北近郊にある「故宮博物院」の5階にある。

翡翠の白菜を見学して、5階に上がったのである。








          三希堂にて


       そのたたずまいの中で
       三つの希(のぞみ)を唱(とな)えつつ
       茶を喫する

       新たなる旅立ちの昼下がりである







静謐な時間が流れるスペースである。

玉山茶を頂いたのである。




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                    荒野人

ある夕食・・・台北の夜2

2010年01月21日 | グルメ
前回は、一杯のお椀・・・ぶっかけご飯で終わった。
さて今日はその続きである。



殻付きの海老炒めである。
炒めた海老の上に、アサツキがバッと振りかけてあって食欲をそそるのである。
口に放り込んだ時の味が何気に予想されて唾液がにじみ出てくるのだ。

素人の味覚予想は、きまって裏切られるのだけれど、その裏切られ方の格差が大きければ大きいほど味覚は喜ぶのである。

実は味覚の喜びとは、裏切られる度合いによって規定されるのである。



ふんわり卵焼きである。
まるで、厚焼きであるけれど厚焼きでなく、かと言ってふくらし粉を入れたお焼きでもない。

卵の中に、筍の千切やシイタケの千切がさりげなく入っていて、噛むとその隠された具材が歯に当たり美味さを増幅させてくれるのである。



汁ビーフンである。
このビーフンは例外なく「新竹」のビーフンである。
ビーフンのブランドとしては「新竹」以外はあり得ないほどなのである。

ぼくは、ビーフンの汁をしっかり飛ばしたものほど旨いと思っている。
そう信じ込んでいるのである。
したがって、これは美味さを感じなかった。
ビーフン自体には味がなく、汁を沁み込ませてこそ味わいが深まるのである。

しっかりと白菜を使っているのは、正しい。
白菜の甘味がビーフンに沁みているはずである。

しかし先ほどの理由から・・・一口食べただけであったのである。



空芯菜(くうしんさい&こんしんさい)と呼ぶ蔬菜(そさい)である。
この炒めものは、ニンニクをまな板で叩いたものを香り付けとするのだ。
それが、結構一杯になっているお腹や食欲を刺激し、あくなき食欲をそそるのである。

強い火力の賜物である。
あっさりと、それでいて味わい深いのである。

ぼくの大好きな蔬菜(そさい)である。



浅蜊(あさり)のスープである。
海に囲まれた台湾ならではのスープである。
浅蜊は砂抜きがされていて歯ごたえがあり大きめであった。

油まみれの胃壁が洗われて行った。
美味いスープである。



いよいよデザートである。
スイカは甘かった。
このスイカは、ホテルの朝食に供されるものよりも甘かった。

パイナップルは少し酸味が強いのだけれど、いっそ心地よい酸味である。
パパイヤは柔らかく、だがしかし、しっかりとフォークが刺さり美味かった。

中華料理のコースとしては、普通よりは上かもしれない。
美味しくいただけたのである。
美味しいものは、心許せる人と同じテーブルを囲んで食べたいものである。





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