エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

マチュピチュ周辺が大雨です!!

2010年01月27日 | 日記
ペルーのインカ遺跡「マチュピチュ」周辺が大雨に襲われた。
24日の事である。
現在も、観光客が閉じ込められているというのである。
すでに死者も5人を数える。

腰まで水に浸かっている人々や街がニュースで流れている。
邦人も50名あまり現地に閉じ込められているらしいのだ。

やはり、こうした状況は異常気候であると言わざるをえない。

グーグル・アースでまずマチュピチュを覗いてみよう。



右側に見えるくねくねと曲がったいろは坂は「ハイラム・ビンガム道路」である。

ハイラム・ビンガムはマチュピチュを発見したアメリカの考古学者である。



ハイラム・ビンガムである。

ハイラム・ビンガムは、1911年7月24日、この地域の古いインカの道路を探検していた時、山の上に遺跡を発見したのである。

この時、この地域の子供の言葉「山の上に、ぼくたちの遊び場があるよ!」を信じたのはハイラム・ビンガム一人であったと言われている。
他の探検隊員は、子どもの言葉を信じず、探索に出かけなかったのである。

したがって、このマチュピチュ発見の成果は彼一人のものとなったのである。



空中都市の全容である。
都市の向こうの山はワイナ・ピチュである。

マチュ・ピチュは現地語で「老いた峰」を意味する。
ワイナ・ピチュは「若い峰」である。

ワイナ・ピチュは見る角度で面白い映像になる。



人の顔みたいでしょう?

このマチュピチュには「だんだん畑」が存在する。
ここで食糧を収穫した。



ここは世界遺産である。
人類の遺産であるのだ。

この周囲で大雨が降るのは、気候変動である。
昨年は、ナスカで大雨が降った。

ナスカは乾燥した台地である。
マチュピチュはジャングルに位置するにしても、崖が崩れ去ったというのは、そうそうあることではない。

遺産の保護が危うくならなければ!
と思う。

貴重な人類の記憶として保護される遺産なのである。

早い復旧を願ってやまないのである。





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                荒野人

江南の春~南京に思う

2010年01月27日 | 旅行
杭州近郊は水郷の街なのである。
かつて日本軍が南京を攻略し駐屯した悲しい歴史があるけれど、日本軍を苦しめたのはクリークであった。

美しい景色であると同時に、農村を守り農民や人々を守っていたのである。
南京・・・金陵とも言われた。
中原(ちゅうげん)に覇を唱える困難さから、南京に都をおいた何人かの帝王がいたのである。

たとえば、211年、呉の孫権が石頭山金陵邑に石頭城を築き、229年にここを都に開設し、周囲11キロの都を「建業」と名付けた。
この事蹟によって、南京の歴史が始まったのである。
それ以降、東晋、宋、斉、梁、陳が相次いで南京を都にし、史書では「六朝」という。

南京は美しい都であった。
南京の雨花台には革命烈士の鎮魂碑が建っている。



毅然として前を見つめる革命の戦士たちである。
記述によれば、彼らは全員処刑された。



孫文の記念碑とともに巨大な霊廟も観光の目玉である。



中山陵である。
この階段を上って下を見ると、階段状でなく平らなスロープに見える。
見事な作りである。

さて、南京で脱線してしまった。
南京は時間をかけて触れたい場所である。

ぼくは夏の熱い数日間をこの街で過ごした。
そしてここから上海まで舟で向かった。

南京の港を出ると、直ぐに「南京大橋」にさしかかる。
中国の人たちの自慢の橋であった。

いまでは、かつての自慢に過ぎないのだろう。



南京大橋である。
二段になっていて、下の段は鉄路であって電車が走る。
上の段が道路で、歩道もついている。

焔が燃え上がる橋脚には、銃を構えた人民軍兵士が立っている。
橋は、いつの時代も戦略拠点であるのだ。

南京の悲しい歴史には改めて触れなければならないだろう。
今日はここまでとした。

太平天国の乱をはじめ、近代史的にも重要な街である。

太平天国の乱は、清朝の中国で1851年に起こった大規模な反乱である。
洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯(ちゅうたい)とした組織、太平天国によって起こされた。
内乱終結時には史上最も犠牲者の多い内乱として記録された、血ぬられた歴史の街でもある。

ぼくはこの雨花台の革命烈士の像に花輪を捧げたことを、いま改めて思い起こしている。




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               荒野人

花芯の美しさに寄せて

2010年01月27日 | 日記



      美しい日が過ぎて


    美しい日が過ぎて
    その追憶の中に
    深く
    重く沈殿する思いは
    二の腕に痺れとして残っている

    そうあなたは言った

    いつでも
    いつまでも
    その追憶の誕生にかかわり
    踵(きびす)を接したしとねの暖かさに
    あなたは狂おしかったと言うのだろうか

    ぼくが涙したのは
    あなたの甘い汗と
    しなやかな肢体の
    心地よいたおやかさであった

    花の芯のなかに
    分け入っていく過程こそが
    愛する
    全てであって
    誰にも明かせないというのに

    それは秘密であって
    誰も知りえない
    甘美な時空である





あなたの存在に分け入っていく喜びに、ぼくは慄えている。



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