エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

美しき秘密、これって・・・なに

2010年01月26日 | 日記
この花の名前分かりますか?



花弁のジャングルである。
まるで中国の南方、石林の中に迷い込んだようである。
光をガラス越しにした結果、花弁の色がこうなった。

もともとは白いのである。



二度咲きの花である。
前に咲いていたのは、確かクリスマスの頃であった。
白をベースにして、薄紫色へと変わっていくのである。

そのグラデーションが美しいのである。
花は大輪から小さな可愛らしいものまで多様である。



緑色の葉から多くの花が覗いてくれる。
その花は細長く、赤いのである。
雄蕊、雌蕊がスッと突き出している。

極めて特徴的であるのだ。



グリーンピースではありませんよ。
長いひもに規則正しくこうした丸い玉が付いているのである。
それが数多く連なっていて、あたかもベールのように見えるのである。

鉢は、高く掲げていなければならない。
視覚的に癒してくれる緑である。


上から、菊。
シクラメン。
ジャコバ・サボテン。
そしてブライダル・ベールである。

わが家の鉢植えである。





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                 荒野人

暖かさに誘われて~江南の春

2010年01月26日 | 旅行
25日の暖かさはまるで春であった。
車の中はポカポカしていて、窓を開けて走ったのである。

明日には再び西高東低の寒波が下がってくる予報となっている。

今日の暖かさがぼくの脳裏に「江南の春」を呼び戻した。
中国の南方の地方である。
上海の近郊をそう呼称する。

杭の杭州、蘇州などがその江南地方にあたる。



この江南はクリークが縦横無尽に走っている。
農村地帯であり、水郷・古鎮(こちん・古い町)が点在する風光明媚な地方である。
クリーク沿いに農家が豪邸を建てているのが分かる。

ぼくは春の日に、成田から杭州に向かったのである。



ANAである。
今、杭州には一日ニ便のフライトがあるけれど、かつては上海からの移動のみであった。

なんと言っても、江南は春である。
杜牧の漢詩「江南の春」はあまりにも有名である。



杜牧の風貌である。
泰然自若として詩人の存在感が迫ってくるではないか。

  江南の春
           杜牧

  千里鶯啼いて緑紅に映ず
  水村山郭 酒旗の風
  南朝 四百八十はっしん寺
  多少の楼台煙雨の中

見わたすかぎり広々とつらなる平野のあちこちらから鶯の声が聞こえ、木々の緑が花の紅と競い合あっている。
水あたりの村や山ぞいの村の酒屋の旗が春風になびいている。
古都金陵には、南朝の寺院がたくさん立ち並びその楼台が春雨の中に煙っているのである。

とでも訳そうか・・・。

美しい春が活写されている詩であると思う。
江南の春はその麗(うら)らかな陽と、肌に優しい日差しに誘われてしまうのである。
「一盃 また一盃」と」盃を重ねてしまう気持ちなのであろう。
中国の多くの詩人が江南の春を詠(うた)っている。



クリークの描くデッサンは美しい田園風景を、より一層豁然(かつぜん)とさせるのである。
クリークの渡橋(はし)には見張り小屋風な建築物が見えた。



美しい!
かつての日本の田園風景もこうであったのかもしれない。
水こそが農村の命なのである。

日本の田園は「まさに荒れなんとす・・・」であるのかもしれない。

次回は古い水郷の町を紹介しようと思っている。




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