エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

カワセミ(翡翠)に出会った深まる春の一日

2011年05月06日 | ポエム
いつもの公園の、いつものバード・サンクチュアリでカワセミと出会った。
年に十数回は出会うのだけれど、GWの最終日に出会えたのは吉祥か?



この道を通り、公園に向かう。
一休みするベンチには既に先客がいたのである。



車いすの妻を支える老夫と、なんでも可笑しい高校生二人である。
ここに至る途中、カラタチの木に出会った。



間もなく咲きそうな小粒の蕾がいっぱい着いていた。
開くのが楽しみである。

そして秋には「まろいまろい、金のたま」が結実するのである。
北原白秋の歌詞がフッと思いだされる。
作曲は山田耕作である。

   からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ
   からたちのとげはいたいよ 青い青い針のとげだよ
   からたちは畑(はた)の垣根よ いつもいつもとほる道だよ
   からたちも秋はみのるよ まろいまろい金のたまだよ
   からたちのそばで泣いたよ みんなみんなやさしかったよ
   からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ

鋭い棘を含め、詩情溢れる木である。

さて、カワセミである。






        カワセミ



      カワセミが笑う
      その話は本当か
      カワセミは笑うのではなく
      啼いているのだよ
      その翡翠色の背中を太陽に向けて
      カワセミは啼くのだよ

      カワセミのその姿を狙って
      良く磨かれたレンズが列をなすのは
      古代からのならわしであると言う
      それが
      いつのまにか神話になった

      だからカワセミの横には飛天が絡まるように舞い
      意識が昇天するのだよ
      カワセミと出会った途端
      意識は飛んでしまうという仕儀なのだ

      カワセミのそうした生業は
      人智を超えた万象の一つでしかないけれど
      意識のテリトリーでは
      全能であるのだ






今日は、一眼では無くコンパクト・デジカメで狙った。
バード・サンクチュアリには、一眼望遠鏡が設置してあって、そのレンズに映ったカワセミの姿を狙ったのである。

従ってピントは少しばかり甘い。
その甘さが良い味を出している。

背景は池である。
ぼくが着く前には、番(つが)いでいたらしい。

カワセミは、心に灯をともしてくれる。
やはり吉祥である。

吉祥天女である。




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