エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

雨に濡れそぼって

2011年06月12日 | 
梅雨明けにはほど遠く、ジメジメとした気候であった。
これこそが、農業に福をもたらすのだと、ぼくは嬉しくもあった。

けれど被災地では、このジメジメは大敵であろうと推察できる。
健康的な面でも、衛生上からも悪条件である。

政治ショーは見たくないと以前に書いた。
昨日、退陣するとした管首相が被災地を訪れたという。
それを聴くだけで腹立たしい。

あのしまりの無い笑い顔が腹立たしいのである。



花は、そうしたぼくの思惑などつゆ知らず咲くのである。
それは誇らしい。



家の近所の畑で杜若が咲いている。
時々、この畑の主が摘んで売ることもあるのだけれど最近はお目にかかれない。

健康でも損ねたのであろうか。
心配である。



ここまで花が開いてしまったら、もう売り物にはならない。
でも通りすがりのぼくに、目を楽しませてくれる。

雨が一瞬止んで、風が涼しい時間があったのである。
ぼくは予約してあったかかりつけの歯医者さんに出かけたのであった。
その帰り道である。



紫陽花も濡れそぼっている。



これぞ、梅雨時の紫陽花である。
雨に濡れそぼった紫陽花は「アジサイ」と書きたい。

誰もがそう思うだろう。



垣根に咲いているアジサイは雨に濡れていて欲しい。
ジリジリと照りつける陽光の下では、悲しい。

疲れ果てた老人のようであるからである。



雨粒が宝石のようである。
あるいは、人の悲しみの一つ一つを映し出す魔法の鏡でもあろうか・・・。




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