エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

俳詩・・・習作2

2013年02月11日 | ポエム
過日、与謝蕪村の俳詩に触れ、ぼくも俳詩の習作を書いてみた。
表現が定着しないを。
それは俳句の韻律を踏襲しつつ、体内の感性を表出させるという試みの困難性であった。

山頭火の韻律と、奔放な表現。
そして蕪村の表記方法を基にしたのであった。

偉大な先達の二人である。







    習作2  寂寥またはわたし



 余寒の一日が終わる

 わたしはまだ生きている

 隙間風が攻めて来る

 風が全てを包む時がある

 冷え切ったわたしがいる

 風を遮るものもない人生がある

 わたしは凍えていく

 凍えていくわたしがいる








俳句をキチンと学ばなければ、俳詩はものにならないのである。
それを知る。
知ることで、ぼくはますます俳句と真摯に向き合わなければと思い知ったのである。



人は深い人生の溝に満足する。



それで良い。
人がみな山頭火のようにに生きる必要は全くないのである。



        荒 野人