エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

春の兆しを探す

2013年02月13日 | ポエム
今にも降り出しそうな空であった。
ぼくは、その空の下を雲のように遊弋した。

春の兆しは、随所に有って早春を満腔に取り込んだのであった。



なずなである。
アブラナ科ナズナ属の越年草。
別名ペンペングサ(ぺんぺん草)、シャミセングサ(三味線草)と称する。
田畑や荒れ地、道端など至るところに生えることからペンペン草である。
ムギ栽培の伝来と共に日本に渡来した史前帰化植物と考えられている、春の七草である。

三味線はペンペンと音を表現する、従って三味線草であり、ペンペン草である。



上側にはナズナ、下部にはホトケノザが咲く。



ホトケノザの赤い蕾は、正に玉のような色相であり色彩が凝縮されている。
誠にうらうらとした温暖な陽だまりである。



水仙の若葉もここまで成長してきている。
既に花咲いている水仙も多いのである。
葛西臨海公園ではおそらく満開であろうし、伊豆の突端「爪木岬」では既に終わろうとしているのかもしれない。

水仙・・・美人への例えは無いけれど、ぼくは芍薬や百合の花にも匹敵する美女だと思っている。
昨年は、水仙を爪弾くマンドリン演奏者に例えた句を詠んだ。
マンドリンを小脇に抱え、トレモロを爪弾く指の美しさに感動したのであった。

その指は、あたかもプラチナであるかのように光り輝き且生き生きと躍動していたものであった。



雪柳の若葉である。
小さな小さな若葉がコケティツシュでもある。



モクレンの産毛である。
花開く下準備は既に終わった。
花開くのを待つばかりである。
早春、何日か暖かい日が続きさえすれば花開く。



クリスマス・ローズの蕾である。
最近では、投資対象にまでなっている花である。
あたらしい花が次々と市場にリリースされている。

とある花やさんの温室で、クリスマス・ローズが咲いていた。
余りの可愛らしさに、カメラを向けた途端店に員さんから断られた。
まだ未発表の花であったようだった。



サボテンの新しい針。
鋭さや痛々しい感覚はなく、むしろ愛おしげに針が伸びていた。
新しい針の命は優しい。



これはカラスノエンドウの若い葉である。
わが故郷では「シビビー」と言った。

実が大きくなると、そっと捥いで中の実生をこそぎ落し唇に当て、そっと息を吹きいれる。
シビビービーと鳴るのである。

春の野川の風物詩であり、母の思い出ともなっている植物である。



馬酔木である。
場所によってはここまで花が開いている。







「春兆す八百万の精霊起きよ」


「芽を出して腕を伸ばせば光降る」







上がミモザの蕾。
下は一輪だけ咲いていた雪柳である。

春はようやく兆して来たとはいえ、深まりの様相も見せている

自然に畏怖した古代の人々。
暗闇に畏怖した平安の雅な人々。

原始、自然は信仰の対象であり、畏怖すべき存在であった。
句作に、その感性を生かしたいものである。


          荒 野人