風は冷たい。
けれども、日差しはうらうらの一日であった。

ぼくは、下萌えの上をゆっくりと歩いた。
日差しが暖かく、セーターを脱いだのであった。
でもコート姿だと、お地蔵様みたいに見えて膨らんでいる。
ふくら雀・・・いやふくら烏か?

葛西臨海公園の波打ち際は「人工なぎさ」である。
そうであっても、月日がなぎさを渚にしてくれている。
自然に力は大きい。
大きいし、素直だ。
寄せては返す波が、自然のままの姿を再現し、やがてそれが当然のように自然になっているのである。

「なぎさにも海原続く春を載せ」

波がキラキラとして美しい。
天候に恵まれつつも、だがしかし俳句は詠めなかった。

「春の海魚鱗輝く波の来る」

葛西臨海公園のシンボルは、観覧車である。

昨日は、御休みであって観覧車は静かに停まっていた。
なぎさに遊んだ一日。
吟行になりえたかどうか・・・。
今夜中に俳句を産みだしたいのであるけれど。
荒 野人
けれども、日差しはうらうらの一日であった。

ぼくは、下萌えの上をゆっくりと歩いた。
日差しが暖かく、セーターを脱いだのであった。
でもコート姿だと、お地蔵様みたいに見えて膨らんでいる。
ふくら雀・・・いやふくら烏か?

葛西臨海公園の波打ち際は「人工なぎさ」である。
そうであっても、月日がなぎさを渚にしてくれている。
自然に力は大きい。
大きいし、素直だ。
寄せては返す波が、自然のままの姿を再現し、やがてそれが当然のように自然になっているのである。

「なぎさにも海原続く春を載せ」

波がキラキラとして美しい。
天候に恵まれつつも、だがしかし俳句は詠めなかった。

「春の海魚鱗輝く波の来る」

葛西臨海公園のシンボルは、観覧車である。

昨日は、御休みであって観覧車は静かに停まっていた。
なぎさに遊んだ一日。
吟行になりえたかどうか・・・。
今夜中に俳句を産みだしたいのであるけれど。
荒 野人