エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

オキナワ

2013年08月08日 | ポエム
8月15日・・・今年もまた終戦日が近づいてきた。

第二次世界大戦は、日本が8月14日にポツダム宣言を受け入れた。
その翌日、1945年8月15日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に日本が戦争に負けたことを知らせ、終戦となったのである。

終戦記念日という人もいれば、敗戦記念日だと声高に叫ぶ人もいる。
けれど、ぼくたち「ヤマトンチュウ」がどこまでオキナワの悲劇を知っているのだろうか?

昨夜放送された「生きろ」というドラマ、改めて日本で地上戦があった沖縄を知る縁(よすが)となった。
ドラマは、戦中最後の沖縄県知事を務めた島田叡(しまだあきら)の実話を基に進行する。
島田役は、緒形直人である。

米軍上陸、地下壕への県庁移転、地上戦、南部への撤退、そして・・・。
島田知事が在任した5ヶ月はまさに地獄の日々であった。

沖縄戦の終盤、軍は南部への撤退をする。
とりわけその撤退戦の中で、多くの住民が命を奪われたのであった。
行政が無力化する中でも島田知事は毅然とした態度を崩さずに県知事としての職務を全うした。
「生きろ」というメッセージが、ドラマを見終わった今でも耳朶に残る。

生きる事は、人間の尊厳であり、未来への大いなる希望である。
島田は、その人間としての尊厳を体現して沖縄に散ったのである。
いまでも、その遺体は見つかっていない。
オキナワの土となって、オキナワを見守っているのだと思う。

ドラマを見ながら「偉い人がいる!」何度そう叫んだだろうか。

緒形直人の熱演は記憶に残る。
父親の緒形拳を超えるだろう、と予感させるものがあった。
久しぶりの好演である。

さて今月の俳誌「からまつ」はタイムリーな企画がある。
沖縄戦で負傷者の看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の吉村秀子さんの句が特集されている。



 滴れり
  わたしの沖縄戦

として、21句が掲載されている。
どれも「その時、その場に居合わせた者」だけが詠める句である。
中村二三恵副主宰に一句を鑑賞して、投稿する企画もある。

もちろん、ぼくも投稿するつもりである。

「弾抜かんと友の立て膝はたた神」
「自決するなと叫ぶ先生炎える山」
「戦さ炎ゆ幼なの縋る兵の脚」

この3句が、とりわけ心に残る。
弾を抜かんとするひめゆり学徒隊の女学生。
膝をたてた刹那、雷鳴が轟いた。



閃光がガマにも走った。
はたた神の力も借りたい弾を抜くと云う力技。
その瞬間が、吉村さんの記憶に留まったままなのであろう。



「はたた神いくさの用にたちもせず」



野人のお返しの句である。

俳誌は、概ね3カ月遅れと云う中にあって、この企画は誠にタイムリーである。
同時に、ドラマとオーバーラップして心に響いたのである。



        荒 野人