エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

金閣寺

2013年08月23日 | ポエム
実に47年ぶりに「金閣寺」の参観に行ったのである。
修学旅行以来と言えば良いだろう。

海外のお客さんと、京都観光に出かけたことも何回かあるけれど、個人の好みが強く反映して金閣寺にはついぞ行かなかった。
京都観光二日、奈良三日といった塩梅であった。

金閣寺はあまりにも有名過ぎて面白みが無い。
いやむしろ、観光地として陳腐化してしまっているのではないか?
などと勝手に思い込んでいたのである。

今回、たまたま思い立って金閣寺・・・竜安寺・・・仁和寺・・・四条・京極散策、というルートを歩いてみたのである。
いや、寺院の間は市バスの乗り継ぎである。



なんたって、関西は観測以来という夏日が連続している。
大阪なんかも大変な暑さである。
京都は盆地であるから、さらに蒸し暑い。
雲の峰の縁が、シャープである。

47年ぶりの金閣寺。
やはり、感動する。
陳腐化してはいないけれど、俗化現象に見舞われている。







「金閣の時代が洗う夏の宵」







周辺に民家が立ちこみ過ぎているからである。
あの、鄙びた都の面影は殆ど無い。
例えば洛北の祇王寺周辺だとか、落柿舎周辺の田園風景だとか、洛中には残されていないとも言える。

京都滞在中、俳句は殆ど詠めなかった。
宿は鴨川沿いにあって、部屋からは東山の全景が望める。
東山に向かって、視線を左に流すと京都の繁華街が望めた。

清水寺の塔、知恩院の伽藍、高台寺の伽藍、更には八坂神社の気配すら感じられるのであった。
京に鬼が済んでいた時代・・・その匂いが感じられるのであった。
京では鬼と人とが共存していたとある。



安倍清明が活躍した時代は、正にそうした時代でもあった。
古は、いまや掠れつつあるのかもしれない。




        荒 野人