エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

龍安寺の石庭

2013年08月25日 | ポエム
龍安寺の石庭は、ぐるりの土壁が綺麗過ぎる。
以前は、もう少し素朴だったのではないか。



言い換えれば、破綻が無さすぎなのである。石庭の描く曼陀羅が完璧に過ぎるのである。
完璧な円をもっていて、大団円に過ぎるのだ。
破綻の無い大団円など、面白くも何も無いではないか。



石庭を見た後、この睡蓮の池を一周する。
誠に雅趣に満ちた工夫である。

出口におられるお坊様にお聞きしたのだけれど、ここも俗化したのだよ!と仰る。
観光地化の必然なのであろう。
やむを得ない,か。







「石を措く古人の意趣や秋隣」







だが、そうだとしてもこの庭の時間はゆっくりと流れている。
少なくとも、時間は浄化されていて静謐を形作る。
心地良いのである。



この模型は、視力が充分ではない方のためとある。
とまれ、カルチャーの異なる海外の旅人は、感動するはづである。



ここが石庭への入口である。
すでに、ここから庭が始まっている。
大気、その大気の紡ぐ風、快適に滞る時間、何処からか漂ってくる香の淡い甘さ、そして全体が醸し出す宇宙である。



石庭以外の竜安寺のお庭には、苔が蒸している。
時代を感じさせる佇まいである。



苔の好きな女がいた。
その女は、素晴らしく雰囲気を漂わせていた。

女は、苔の写真を撮りながらフッと笑った。



      荒 野人