言ってみれば「病葉」であるのだけれど・・・。
様々な表現、言い方で視線の多様化を測る日本語の見事さに、舌を巻く。
一つ一つの文字に意味がある日本語の特性でもある。
単なる記号では無い、象形文字の為せる業である。
かつ、短文形式の俳句ならではの表現の豊かさでもあるのだ。

「大辞林」なる国語辞典がある。
正に、辞の林である。
このさい、辞は「言の葉」と理解すべきである。
アルファベットでは、辞林という表現は至当ではない。

「ただ待てり来る宛てのなき落し文」

この落し文を見つけた小径である。
この小径の上には、大夏木が広がっている。

池には、蜻蛉である。
まだアキアカネは飛んでいないし、熱さは厳しいけれど、そろそろ秋の支度が始っている。

自然の摂理は見事である。
荒 野人
様々な表現、言い方で視線の多様化を測る日本語の見事さに、舌を巻く。
一つ一つの文字に意味がある日本語の特性でもある。
単なる記号では無い、象形文字の為せる業である。
かつ、短文形式の俳句ならではの表現の豊かさでもあるのだ。

「大辞林」なる国語辞典がある。
正に、辞の林である。
このさい、辞は「言の葉」と理解すべきである。
アルファベットでは、辞林という表現は至当ではない。

「ただ待てり来る宛てのなき落し文」

この落し文を見つけた小径である。
この小径の上には、大夏木が広がっている。

池には、蜻蛉である。
まだアキアカネは飛んでいないし、熱さは厳しいけれど、そろそろ秋の支度が始っている。

自然の摂理は見事である。
荒 野人