エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

節分

2015年02月05日 | ポエム
今年の節分は、沖の能村主宰の吟行に参加させていただいた。



能村主宰の選句と、鑑賞は常に納得させられる。
添削は、要点を押さえ詠んだ者を尊重する視点が素晴らしい。

と・・・少し生意気だけれど言わせて頂いた。

吟行は総武線「下総中山駅」に近い「法華経寺」である。



ここの豆撒きは「福は内」のかけ声だけである。
鬼子母神をお祭りしてあるからである。

この扁額をご覧頂ければ分かるのだけれど・・・。
鬼の字に「角」が無いのである。



善男善女が福を求めて集まっている。
ぼくたちは、この広場から遠壽院の荒行堂に向かった。



この寺院は、日蓮宗の荒行を行う唯一の場所である。



2月10日に満行を迎える髭ぼうぼうの僧侶の読経と豆撒きに立ち会えるのである。
タレントや有名人の豆撒きも派手さがあるけれど、ここの豆撒きは感動的でさえある。







「阿吽形見守る座敷豆撒ける」







この僧侶の音声は、野太くて身体中に沁みてきた。
手の平を合わせ、頭を垂れて聴いた。
自然に涙が溢れてきたのであった。



ぼくたちは、阿吽の像が見守る座敷に座った。

一回の行を行うと、体力の回復には3年はかかると云う。
5行が基本であって、中には7行の方もおられると云う。

信仰の力である。



白い袈裟を着用している僧侶が、荒行を行っているのである。
全国津々浦々、荒行を経た僧侶がおられる。

誠に感動的である。




       荒 野人