エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

アマドコロ

2016年04月25日 | ポエム
アマドコロは、花が下向きである。
しかも白い。
形状はスズランとうり二つ、である。



この花の前を通った方の会話。
「ねえ、この花の名前は何?」
「スズランよ!」
ってか。

確かに似ている。



けれども「アマドコロ」である。
結構、群れて咲いている。







「アマドコロ花序の安らぐ杣の道」







よく花を見ると、スノードロップにも似ている。
花弁の先の模様は、スノードロップそのものである。

やはり、今しかみられない花である。
愛着の湧く花である。



     荒 野人

躑躅

2016年04月24日 | ポエム
躑躅が、盛りを迎えようとしている。
色様々な躑躅をみるのは楽しい。

過日、練馬駅前の躑躅園で出かけた。
「えっ、あったっけ?」
そんな印象であったけれど、実に見事であった。



赤いツツジの花言葉は、「恋の喜び」。
緑の葉を花でおおいかくすようにいっせいに咲くまばゆく赤い花色に対してつけられたのであろう。
白いツツジの花言葉は「初恋」。
純白の花の清純な美しさに対してつけられているのである。







「躑躅山名札の文字の煩わし」







あたかも山のように咲き誇る。
躑蠋山といっても良かろう。



こうした憩いの場は、幾つ有ってもすぎると云う事は無い。
人の心が硬くなっている現在のオアシスは、もっとあって良い。

けれど、次のような行為は厳に慎みたい。



鳩への餌やりおじさん、である。
このおじさん、恥ずかしい気も無く餌をやり続けていた。



鳩同士が、餌を奪い合っている。
翅を広げ、闘っているので。
悲しい・・・ではないか。

おばさんの場合は、もっと凄まじい。
大胆に餌をやり続けるのである。
注意でもしようものなら、大声で反論してくる。

実に厄介である。




       荒 野人






都忘れ

2016年04月23日 | ポエム
ミヤコワスレは、園芸品種である。

それにしても、都忘れという名前と同時に色合いの寂しさが格別である。



もの悲しい色合いである。
この淡い紫は、尼女の袈裟にも似て静かな佇まいそのものである。



風に揺れる様も又、悲しい。



更に敷衍して云えば、支えなければならないと思わせる嫋やかさである。







「揺れにゆれ時間の隙間都忘れ」







都忘れの物語は、この花と出会ってから始まる。
物語の始まりは、この花に恋しなければならないのだ。

都忘れの花言葉は・・・。
「しばしの慰め」「別れ」である。
幾つかの書籍では「しばしの別れ」となっているものもある。

まさしく、悲恋である。



悲恋もまた、この花に合っているのかもしれない。
けれど、それではつまらない。

完全燃焼する事こそ、男子の本懐である。
だがしかし、都忘れの語源は、悲しい。

鎌倉時代の承久の乱(1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱)で、佐渡へ流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられると話されたことに由来するのである。


     荒 野人

筆竜胆

2016年04月22日 | ポエム
竜胆は、仲秋の季語だけれど「筆竜胆」は春の季語である。
意識して探さなければ分からないほど、小さくて可憐な紫色である。

おそらく遠目では「スミレ」にしか見えない。
それほど背の低い鼻である。



この筆竜胆は、秩父美の山で見つけたのである。



春の山は色彩が仄かで、心が限りなく静まってゆく。
一方近目でみれば、翠が豊かであって心が安らぐのである。







「野の草や豊かな小さき筆竜胆」







かつてより、多くの俳人が竜胆を詠んでいる。
ただし、以下の二人は仲秋の竜胆を詠んでいる。


「りんだうや枯葉がちなる花咲きぬ」    与謝蕪村「夜半叟句集」

「好晴や壷に開いて濃竜胆」        杉田久女「杉田久女句集」


なかなか素敵な句である。
筆竜胆だと、以下の俳人である。
筆竜胆は、春竜胆とも云う。


「春りんだう入日はなやぎてもさみし」   安住 敦

「筆竜胆山下る子が胸に挿す」       廣瀬町子




筆竜胆のささやかな美しさは、小ささの中にあるのかもしれない。



      荒 野人

若緑の中で

2016年04月21日 | ポエム
まさしく、若緑の候である。
目にも、肺を含めた体内の血液にとっても快適な季節である。



公園を散策していて、ふと目についた。
満天星の白さが際立っていた。

青空に良く似合う花だと思ったのである。
夢中で、シャッターを切った。



良く晴れた爽やかな一日である。
しばらくの間、若緑の発する新鮮なオゾンを身体中に吸い込んで歩いた。



このトンネルのような若緑の並木道。
銀杏並木である。



いつも座っている定点観測の場所でもある、ユリの木の緑である。
いつものように、この樹の下のベンチで時間を過ごした。







「若緑風の生まれる並木ゆく」







今は、葉桜も豊かである。
ほぼ出来上がった「微睡の刻」通信を改めて推敲しつつ、午後のお茶を頂いた。
アイス・コーヒーである。

美味しそうなパンが会った。紅茶メロンパンである。
一つ買い求めて、カフェの外のテーブルで頂いた。

紅茶の香りに、甘いメロンのつぶが口中に広がった。
身体中に沁み込んでいく。
そんな感覚に浸って、幸せであった。



     荒 野人