エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

美の山の桜

2016年04月20日 | ポエム
山桜を見に、埼玉県は美の山公園に出かけたのであった。



美の山公園の入口である。

ここは、吉野の「一目千本桜」ならぬ「一目千本万本桜」を標榜する。
確かに、なかなか見事なのだけれど吉野のお山には比べようも無い。
否、比べてはならないのである。



遊歩道と云い、山を借景とする山桜の咲き誇る様と云い・・・。
なかなかに見事である。







「八重桜山の俤母にして」







ゆっくりと歩いて山を上り下りすると、身体中の毒素が抜けていく。
都会生活の汚れた肺も、よりよく浄化されていくのを感じるのである。



こうした山道を歩くのは誠に楽しい。
否、杣道と云っても良いかもしれない。



美の山公園。
都会のオアシスとして、もっと注目されても良いのだ。
これからの季節は、躑躅である。
散策していて分かったのだけれど、紫陽花も数多い。

どの季節も、充分に楽しめそうである。
来年は、句友たちと吟行に来たいものである。



     荒 野人

初の夏日

2016年04月19日 | ポエム
東京は、初の夏日であった。
確かに、歩いていると汗ばんで上着を脱いで歩いた。

昨日は、いつも違うカフェで外でアイスコーヒーを頂いた。
この場所は、なかなか気持ちが良い。

ぼくが参加している「国立句会」の通信の推敲をゆっくりと・・・。
「微睡の刻」通信である。



このカフェは、障害者の施設が運営している。
軽度の知的障害の方達が、珈琲を出してくれる。
とても、爽やかに接客する。

直ぐ傍には、躑躅の丘がある。
まるで円形劇場のように躑躅が植えてある。



空が気持ちよい。
雲が喜んでいる。







「花疲れ君に触れたき時ばかり」







桜はすっかり葉桜になった。
その葉桜のそよぎが、疲れを癒してくれる。
つい先ほどまで「花疲れ」だった。

風と、葉のそよぎが何やらおかしな気分にさせてくれた。
君の臈長けた蠟梅の肌に触れたくなってしまった、のである。
もの狂い、の気候である。



何回も云うけれど、この時期だけの現象。
緑がいかほど重なっても、緑である。
だから・・・翠。

今日は山桜を見に出かける。
山が笑い、やがて滴る。

身も心も芳醇な自然に満たされる。
春色に染まって来よう!



      荒 野人


里桜

2016年04月18日 | ポエム
今週始め、昭和記念公園のチューリップを見に出かけた。
パートナーは、いつもの従兄である。

埒も無い冗談を云い合いながら、シャッターを切る。
チューリップ畑にいる人々は、全員と云って良いのだけれどシャッターを切っている。
カメラでなければ、スマホ。
スマホでなければ、携帯。

それにしても、皆さん高級な一眼レフカメラで写されている。
今日はチューリップでなく、里桜に触れたいのである。



もうソメイヨシノは、終っている。
蕊降る候である。

園内居の小川には、花筏である。
けれど、盛りを迎えているのは「里桜」である。







「街に立つひとりぽっちの里桜」







里桜は、白系の花である。
ただ、やはり時間が経てば淡いピンク色を醸し出す。

里桜は原種に近い花であるのだ。
人々は、その下で浮かれる。
そこに花茣蓙を敷けば、尚更である。



      荒 野人

さて、地震の被害が拡大している。
復興には、20年を要するだろうと云う。
改めて思う。
オリンピックどころでは無いだろう。
返上する勇気。
それを政治に期待したい。
国の面子よりも、国民の幸せである。
そのときだけの為に、国民の血税を使うのか!
それとも、国民の為に使うのか!
その正常な判断は、おそらく国民のほとんどが渇望している。
ここまで準備しているから、とか・・・。
国際公約だから、とか・・・。
それが国民の幸せになるのなら、強弁しても良い。
だがしかし、幸せにならない。
あらためて云う。
オリンピックは返上することだ。
血税は、東北や九州中部地震の復興に使うことだ。

今の日本に、オリンピックは要らない。
と、少し怒っている。

「春愁ひ人の命の儚さよ」

多くの犠牲者が出ている。
行方不明の方も大勢おられる。
人の命は、一瞬なのだ。
その一瞬の命は、尊い。
国民の幸せと、安寧を守る政治であってほしいではないか。
つまらない前例主義の政治。
どうでも良い国際公約に固守する政治。
本当に国民が希求する政治とは、かけ離れている。

お願いだ!
もっともっと国民の幸せを見つめて欲しい。
と・・・。
野人は思っている。

花水木

2016年04月17日 | ポエム
熊本地震は、その範囲を広げ大分から九州中部全域にその揺れを広げている。
ブログの更新などと云ってはおられない。
今日は書き溜めておいた記事をアップさせて頂く。

とまれ、東北震災n傷跡も未だ生々しい。
そこへ、九州中部地震である。
やはり、オリンピックなどと浮かれておられない。
ましてや、そこへ大金を投ずるなど狂気の沙汰としか思えない。

オリンピックは返上すべきであると、改めて思う。

さて、花水木は北米原産の花卉である。
日本がアメリカに送った桜の木の返礼に、アメリカから寄贈されたのが最初である。
アメリカの桜の木は、ポトマック河畔に豊かに根付いている。

花水木は、それこそ日本原産の花卉のように仲春を告げている。



春は花、秋には紅葉して目を楽しませてくれる。
実に情緒豊かな花卉である。



花水木の赤は、君の唇のように甘やかな色合いである。
上唇がちょこっと上を向いて、それでいて扇情的な皮膚感が濃厚である。



赤も白も、どちらも甘やかである。







「花水木紅だ白だと喧し」







花水木が空の一画を占めると、春はいよいよ深まっていく。
空が、徐々に色彩を増していく。



いや、万物が色彩を増していくのかもしれない。
そう思わせるのは、花水木の特性である。
花水木の個性、と言い換えても良い。

上品で、しなやかな色彩である。



     荒 野人

熊本大変

2016年04月16日 | ポエム
14日、熊本県で震度7の地震があった。
死者9人、994人が重軽傷を負った。
現時点で20人の犠牲者となっている。
怪我を負った方の数も増えているに違いない。

誠に甚大な災害である。
ところが、今日の未明の震度6強の地震が本震だと云うのだ。
今日だけで多くの家屋が倒壊し、犠牲者が出ている。
阿蘇山も噴火したと云うのだ。
大分の湯布院でも被災者が多くおられる。



震度7或は震度6強というのは、殆ど信じられないほどの揺れである。
一昨夜から、テレビはチャンネルをどこに振ってもこのニュースである。



20160414【緊急速報】 NHK速報(23:28)余震数多し 熊本県熊本地方~阿蘇地方





熊本城が、悲惨である。
加藤清正の縄張りによる熊本城である。
名城の誉れも高い。

攻め難く守り易い。
崩落した場所は、後世の改築であろうか?







「春愁や清政公の城崩る」







ぼくたちは地震列島の上で生きている。
そのことを、改めて噛みしめたい。

関東地方の地震は、いつあってもおかしくない!
と云われる。
テレビ中継を見ていると、ひっきりなしに余震に襲われている。

だがしかし、ぼくたちはどこまで迎え撃つ準備をしているだろうか。
不安でならないのである。



     荒 野人