エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

カタクリの終わり

2016年04月15日 | ポエム
カタクリが終る。
今年は、5度ほど出かけた「清水山いこいの森」である。



何時だってそうだけれど、花の終わりは寂しい。







「寂しさやカタクリの花終る時」







いこいの森では、カタクリを見に来る人は殆どいなかった。



ただいるのは、ボランティアの二人だけであった。



お一人は、カメラを首に下げて森の中を観察しておられた。
そうか。この方が練馬区の広報に写真を似せておられたのか!

思わず、カタクリを守っておられるご苦労に声をかけた。
そして、来年の再会をお願いしたのであった。



      荒 野人

春深し

2016年04月14日 | ポエム
光が丘公園の春は、ますます深まってきた。
ソメイヨシノは終わり、蕊降るから花は葉にの候へと移ろった。

いま、里桜、山桜と云った白系の桜が見頃である。



都会の里桜は、寂しい。
新緑は、いくら色を重ねても緑である。

木々の黒い幹が、より鮮明に目に飛び込んでくる。
そんな季節である。



ぼくは「雨が降る前だよ!」との声に押されて歩きに出かけたのであった。
天気予報では、とうに雨が降っていても良いのだけれど晴れ間すら見える。



変な天気である。
夏なら「天気雨」で一句ものにしたいところである。







「一本の何処を棲家の里桜」







夕方、家路につくまで雨は降らなかった。
夜半から雨だと云う。

明日の朝は、きっと赤い蕊が道路と云う道路を染め抜いているだろう。
正しく、蕊降る候である。

この雨が、葉の生育を促す。
葉桜はもうすぐである。

散歩途中「シダーローズ」を幾つか拾った。



昨日今日の風邪が吹き落としたのであろう。
誰にも踏みしだかれず、ささやかに落ちている。



公園のベンチで記念写真!
この時期に拾えるとは、思いもよらなかった。

なんだか嬉しくて、ほっこりとした。



     荒 野人

山吹

2016年04月13日 | ポエム
関東の平野部では、山吹が満開である。
その色合いは、目に優しく暖かい。

山吹には一重と八重とがあるけれど、どちらも美しい。
一枝一枝に、黄色い愛情が連なっている。



一重の花である。



八重の花である。
何とも言いようのない、黄金色である。
小判色と云っても良い。

悪徳商人の、象徴的な色合いである。
「がっはっはっ!越後屋おぬしも悪よな!」と言い放つ駿河屋。
その膝元には、小判の切りもちが二つ・・・なんてね。







「山吹や八重も一重も黄金色」







どの花も、我が家の近くのグリーンベルトにある。
散歩しながら、愛でるのは幸せである。

その幸せが長く続くと嬉しい。
けれど、なんとなく自分の寿命が計り知れる。



孫たちの声や、所作がふっと脳裏に浮かんでくる。
父や母、祖母、そして今は亡き肉親が夢枕に立って目覚めるときがある。
「迎えに来たのよ!」なのか「まだまだ先だからね!」と云いにきたのか。
それは判然としない。



この花は「山吹草」である。
昨日この花を見た。
山吹は花弁が五枚だけれど、山吹草は花弁が四枚である。

この背の低い山吹草が、ぼくを迎えにくる花なのかもしれない。
母を迎えに来たのは、コスモスだった・・・!
ぼくの人生は、フリージアから始まった。



フリージアも山吹も、どちらの花も黄色が定番である。
優しい色なのである。
そうだ、ぼくも優しくあらなければと思うのだ。
だが切れ易い60代。
血液が逆流するような感覚が、時々ある。
少し怖い・・・。




      荒 野人

紫木蓮を詠む

2016年04月12日 | ポエム
紫木蓮の風合いは、誠に倹(つま)しい。
倹しいけれど、その敬虔な祈りは深い。

ぼくは、このブログで今年も二度にわたって被災地にふれた。
被災された方々に、どこまで寄り添っていけるのかは分からないけれど・・・。
おそらく、ずっとふれていくのだと思う。



何故なら、ぼくの俳句の原風景であるからだ。
その中で、紫木蓮はその原風景を風化させない力を持っている。

倹しく、敬虔であるからだ。







「被災地に向かいて合掌紫木蓮」







紫木蓮の季節は、あの東北大震災とオーバーラップする。
厳しさに耐えて、祈りを捧げるからである。



ぼくも又、被災地を詠み続ける。
日本人の責務である。



被災者も、被災しなかった者もだ。
天災は、時として予期しえない壮絶な力を人に下す。
だがしかし、人災は防げる。



大地讃頌 合唱曲




防がなければならない。
そしてそして、何よりも復旧を急ぐ事だ。

世間は、オリンピックに向かってまっしぐらだ。
確かにスポーツの力は偉大だ。
偉大だし、感動を運んでくる。

だがしかし、オリンピックなどと浮かれてはいられないのだ。
被災から、何年経ったと思っているのだ。



     荒 野人

花吹雪

2016年04月11日 | ポエム
満開の桜が終ろうとしている。
今年はたっぷりと桜を満喫させていただいた。



だから、散ってしまっても良い。
文句の言いようも無い。

花吹雪があって、蕊が降って、・・・。
やがて「花は葉に」となる。

全てのセンテンスが季語となっている。
桜は不思議な花卉である。




この週末、桜の名所で一人吟行を楽しんだ。
花吹雪が人々を覆って、そこでエネルギーが発散しているのであった。







「見過ごして見返る径の花吹雪」







桜の森の満開の下、は・・・。
決して恐ろしくはなかった。

むしろ、賑やいでいた。
ぼくは、ほっとした。

花吹雪は、美しい。



      荒 野人