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相棒CBR1000RR (SC59)でのツーリングや色々
趣味を楽しむブログです(^ω^ 三 ^ω^)

久々に店頭で服を買ってみて思うこと。

2018年10月27日 | 繊維業界の転職
最近就活用の面接服を探して買ったり、採用後の私服通勤を考えて秋冬服を少し買ってみたりしている。
ちゃんとした服屋で服を買うのは2年ぶりだ。2年間はビジネス服で、Yシャツにスラックスだったので、ほとんど服を買わなかった。ファッションからも離れ気味で、店にすら行かなかった。
それが久々に服屋に行く機会を得た。服を買うだけでなく、企業研究でいろんな売り場を見たりもしている。
世の中では服はネットで買うものって風潮が強くなっているが、僕はあんまりそうなっていない。
2年間で体重が増えたのが原因か、、笑。試着をしないと買えない。10kgは増えており、Mが着れなくなった。ぴったりでL。Tシャツ、シャツ、スウェットはほとんどXLである。アウターはXLだと袖や着丈が長過ぎたりするので、特に着ないと買えない。

下に何を着るか想定して店に行く必要がある。なぜかと言うと、アウターのサイズ表記って外側のサイズなのだ。ポリエステルの裏地が付いた薄いコートなら、ある程度想定は出来るけど、中綿が入ったり、厚いニットだったりすると、着た時のサイズ感は試着しないと分からない。
ZOZOスーツ計測のオーダーメイドスーツで、出来上がった製品サイズがおかしいという話題は、同じ原因である。ZOZOスーツで計測するのは、ヌードサイズであり製品サイズではない。着た時に着心地が良いサイズは、パタンナーが作る製品サイズである。細かく言えば、その製品サイズは外側のサイズであり、着心地は想定でしかない。内側のサイズは試着しないと分からない。そもそもZOZOスーツの計測が狂ってるらしいが、、笑。いずれヌード→製品サイズをAIで完璧につくれるようになって、初めてZOZOが成功すると思う。

話はそれたけど、最近買ったものはTシャツでも店で試着した。店で試着する利点は、今後同じ店で同じものを買う場合には買いやすくなる。スニーカーをサイズ指定で買えるようになるのと同じだ。せっかく買っても、やっぱり小さかったな、、とか、裾まくれば着れるかな、、ってのは嫌だ。せっかく買ったのに、いずれ着なくなってしまう。

あと欲しい服がある時にネットで選ぶのってかなり面倒くさいと感じた。例えばZOZOでウールのテーラードジャケットを探すと、とんでもない数が出てくる。5万の商品の隣に1万の製品が並んだりしてカオスだ。色や値段で絞ることになる。そうすると、値段の中間値が見つからなかったり、欲しい製品に辿り着かない。
これちょっと襟の形が好きじゃないけど、生地はどんな感じかな、、とか考え始めると、さらにどツボにハマる。結局、店まわった方が早いとなる。店をまわってみると、ウールで考えたけど綿でもいいかなとか、予算下げてもこんな良いものがあるんだと色々と検討しやすい。

欲しい物の検討や試着といった部分で、店舗の優位性は変わらないなと感じた次第である。

しかし、店をまわっても欲しいものが無ければ意味が無い。ネットの方が目にする数は多い。
だから僕が理想とするネットの情報は、どんな製品を扱っているのか、分かりやすく速やかにアクセス出来ること。ブランドや店は、ブランドコンセプトやイメージビジュアルよりも製品写真を載せて欲しいと感じる。店だったら、今入荷している製品の写真をインスタみたいに並べるとか。
このブランドや店は、こんなテイストだから、、から入ると分かりづらい。。製品が並んだ絵を見れば好みか好みじゃないか一目で分かる。
むしろ製品写真しか載ってないサイトのブランドも有ったりするので、それは好印象である。

それにしてもジーンズで言えばウエスト31でぴったりだったのが、今では33、または34である。。笑。ストレッチが無ければシルエットも重要である。ボトムはイージーパンツ以外、ネットでは買えない。









1997年に好きだったセレクトショップについて。

2018年10月27日 | 繊維業界の転職
今回は、僕が高校生の時に好きだったブランドについて書いてみようと思う。
1997年に原宿のとんちゃん通りにNO 44という店がオープンした。読み方はナンバーよんじゅうよんである。その後、2階には0044 A.C.Cというメンズ店もオープン。アトリエクリエイションコンセプトの略だったと記憶している。
僕は当時中学3年だった。洋服にどハマりした頃だ。世の中ではヴィンテージやらミリタリーやらが流行ってたと思う。まだウインドウズは95で、ジョブズがappleに復帰した頃。インターネットも普及してない。携帯電話はPHSかな、これまた普及していない。ファッション雑誌を読み漁り、地図を握りしめて山手線に乗った。
NO 44はヨーロッパ系のミリタリー古着のインポート、リメイクを中心としたセレクトショップである。レディースは分からないが、メンズの方では、Tシャツとかシンプルなカットソー関係は自社生産品だったと思う。

高校生になる前、原宿に一人で買い物に行くようになったのもこの頃である。JR原宿駅から竹下通りを抜けて歩いた。途中、シカゴの路上店や、アポロといった古着屋にも寄り道していたような。。
NO 44の店内は薄暗く、戦時中の作戦基地みたいな雰囲気。無造作にステンシルがあしらわれた板が立てかけてあったり、壁は全てミリタリークロス風の布が貼られていた。床は古い木板を敷き詰めたような感じで、デカいレザーが敷いてあったり。ヨーロッパの城から持ってきたみたいなヴィンテージの革張りチェアが店内の真ん中にどーんと置いてあった。
革張りチェアの後ろに70cm四方くらいのテーブルが有って、ニット系のアイテムが並んでた。左右2箇所にラックが有って、レジ前のラックにはミリタリーやレザーアウターがずらりと並ぶ。反対のラックにはシャツとかカーディガン、Tシャツなんかがかかっていた。

初めて行った時はびっくりしたよね。何だこれ!超かっけー!笑。雰囲気にやられて、狭い中人も沢山いたから、あんまり長居出来なかった。そして高い。。笑。カットソーは¥7,800〜¥12,800、シャツで¥12,800〜¥15,800、アウターで¥50,000〜くらいだったかな。。中学生には全然手が出ない。
バイトするまではお年玉を握りしめて、カットソーやシャツ、パンツを何度か買ったくらいか。アウターは買えなかった。

当時は何の知識も無いから繊維業で社会人になってから分かるのだけど、カットソーに強いブランドだった。全て自社企画の日本製。レーヨン入りでクタクタ感を演出したカーディガンとか、裾切りっぱなしでヘインズの完コピしたTシャツなんかは非常に良く出来ていた。インポートの古着と見分けが付かない感じだった。

ヘッドポーターのビルの外階段からアクセスする地下に、ルージュというセレクトショップもオープンした。主にインポートの音源、スニーカー、雑貨類、ミリタリー古着を少し、扱う。その店もよく行ったなぁ。

00年代に入ると、だんだんモード色が強くなった。隣のスニーカー屋が退店して、増床した辺りかな。ちょっとよく分からない形のカットソーとか、あんまり普段着れないよね、、みたいな商品が増えた。

僕が社会人になった05年になると、インポートの古着が減った。アウターや雑貨にも自社生産品が増えた。自社ブランドは0000という名前だっけ。
初任給でアウターを買った覚えがある。
自社生産品とインポートの値段の格差が大きくなったような気がする。

08年頃、僕は原宿付近の会社に勤め初めて、帰りに寄ることもあった。だいぶ雰囲気が変わった。雑貨で合成皮革のベルトが有った。¥2,800くらいかな。買って1週間くらいで表面から割れて使えなくなった。
名古屋に帰省した時に、パルコの別館?で0044がオープンしていた。レディースはまぁまぁデザインが良かったと記憶している。ダークでセレブな雰囲気に勢いがあったような気がする。

10年頃かな。とんちゃん通りの店2階にあったメンズのACCが閉店した。1階のレディースはまだ続いてたかな。しばらくして、新宿ルミネに店が出来た。もう13年前の重厚なミリタリー、ヴィンテージの面影はどこにも無くなった。インポートはごく一部。フルアイテム自社生産製品に変わった。デザインは土臭いミリタリーテイストを添えたモード。だから店の明るさの割に暗い色が多かった。そして韓国製や中国製が増えた。生地は薄く、縫製も汚なかった。それで値段はそこそこ。高くて芋っぽいハレみたいな感じだ。一部のカットソーは日本製で当時のクオリティーを保っていたけど、それも段々と無くなり、安価なダサいプリントTeeが増えた。

しばらくしてルミネの店も無くなり、とんちゃん通りに残っていたレディースの店も無くなった。
調べたら2014年に全店閉鎖したらしい。

00年代前半に0044 parisが出来て、07年〜10年くらいに、パリコレに出展している。メンズの会社にいた時にはパリコレにも目を通していたので、並びで見た覚えがある。随分と癖の有るシンプルな雰囲気だったような。多分、会社の代表が70年代ギャルソンのパリコレ進出を見てきた50代だったんだろう。なんというか、アンダーカバーと比べてもコンセプトが見えにくい、滑ってる感がたまらない感じだった。

00年代に店頭にモード色が増えたのはパリ企画の影響だったんじゃないかな。
10年くらいかな、ルミネで変わり果てたブランドを見た時、つい聞いたよね。デザイナー、、というか、企画の人達辞めたんですか?って。ほらアジア製も増えたし、、。店員が何を言ってたか覚えてない、、笑。明確な返答は無かったような。

企画っていうか、、バイヤーだよね。セレクトショップとして、店を編集していた人間が辞めたんだと思う。そして会社的に、デザインを重視してミリタリー色が消えた。利益率を優先してアジア製が増えた。優秀なカットソーの仕入れ先は残ったけど、パタンナーやデザイナーも入れ替わったのかもしれない。
おそらくワンマンなオーナー会社だ。現場はかなり振り回されたと思われる。

かつて憧れたブランド、店を10年以上見続けたのは0044だけである。めちゃくちゃ流行ってた時から、誰にも見向きもされなくなるまでを見てきた。この経験から言えることは、アパレルブランドは変えてはいけないものがあることだ。
0044で言えば、重厚なラグジュアリーミリタリーテイストは絶対に残すべきだった。

00年代初期は裏原ブームだった。古着屋の並ぶとんちゃん通りから一本奥ではストリート一色だった。当時、裏原を作っていた世代は青春時代に渋カジを通っており古着は大好きだったが、市場には蛍光色でピカピカの白Tee、ダボダボのデニム、キラキラのスニーカーしか無かった。
この時古着は辛い時期だったと思う。

しかし00年代に、マニアック社が手がけるLGB、ルグランブルーがミリタリーロックテイストで、爆発的に人気を得ている。切りっぱなしでぼろぼろのパラシュートジャケットや、宇宙服みたいなディテールとカッティングのブルゾン、ハードなコーティングや汚し加工のデニムなんかが人気だった。ラルクのハイドや、マドンナ、レニークラビッツなど多くの有名アーティストが着用したブランド。2018年の今は、というか10年代は段々と落ち目だと思うけど、、。0044がLGBと並ぶチャンスは十分有ったんじゃないかと思う。少なくともLGBと並べるくらいの物を作る土台は有ったはずである。市場と向き合わず、パリコレの夢を追いかけた感は否めない。

20年以上前、セレクトショップって当時は見たことない物で溢れている場所だった。セレクトショップって呼ぶこと自体がお洒落だったし、買い物してたらもっとお洒落だ。これって百貨店と同じだなと感じる。百貨店も今から50年以上前の60年代は、そこで服を買うことが最先端だった。
あれから百貨店は成功体験から抜けられず、卸業者に注文は付けるが、自分達は何も変わらなかった。そして今若い人は百貨店に行かない。売ってる製品は高価でダサい。
セレクトショップはというと、インポートや卸も残しながら自社PBに力を注いで、売り場優先でSPA化を進めた。路面店から駅ビル、ファッションビル、SC、百貨店、あらゆるテナントに向けて貪欲に新規業態を広げている。
百貨店や卸業者、大手SPAアパレルは取り残された形だ。市場ではどこもセレクト小売が圧巻している。
セレクトショップのSPA化という意味では、0044も同じだったかもしれないが、市場が見えてなかった。彼らは分かりやすいプロダクトアウトである。百貨店と同じだ。

ただ個人的なことを言うと、やっぱりこだわりを持ったセレクトショップって今でも魅力的だと思う。
駅ビルに入ってるセレクト小売見ても、なんだかなぁ、、って思ってしまう。これさっき隣の店で見たよねって笑。本店、旗艦店行くと全然違う。そういう意味では、BEAMSってやっぱり凄いと思う。セレクト各社はSPAのやり方、販路の広げ方で売り上げに差が出ており、売り上げで言えばビームスはやや苦戦している。でもセレクトショップの良さ、いつ見ても他とは違う新鮮な売り場、発信をしているのはビームスだけだと思う。

話はそれたけど、0044の件があって、その後を埋めるべくハマったブランドが有った。実はそのブランドも全く同じような経路を辿り、見切りを付けた。それから、ブランドというものに興味が無くなった。業界への理解も深まり、ブランドに関わらず何が良いのか、何を着たいのかを考えるようになった。そうすると、デニムはリーバイスじゃなくてもいいとか、ユニクロ無印の低価格アパレルで良いものを探してみたりとか、古着もいいよねとか、かなり自由になれた。

今の時代は、テイストだけでなく価格も含めて自分に有った服を選ぶ必要があるなとつくづく感じる。背伸びしてもね、お金だけかけてもなかなか良いことない。