前回の「自在コラム」はある意味で痛烈な政治批判でもあった。何しろ、ある国会議員の個人名を挙げて、「タウンミーティングの『やらせ』は実は事務方がピントがずれている大臣のことを思い悩んでしたことではないのか」との主旨のことを書いたのだ。
批判対象者との遭遇、沈黙の10数秒
そのおさらい。政府のタウンミーティング調査委員会の最終報告書(12月13日)を読んでいくと、15回の「やらせ」のうち6回が法務省がらみ。04年12月18日(東京)、05年1月15日(香川)、05年4月17日(宇都宮)、05年6月25日(金沢)、05年10月23日(那覇)、06年3月25日(宮崎)の6回のうち、宮崎を除く5回で一致点があった。そのすべてに当時の法務大臣、南野(のおの)知恵子氏(参議員)が出席していた。南野氏と言えば、04年8月の第2次小泉改造内閣で法務大臣に就任して以来、「なにぶん専門家ではないもので」と述べて失言が取りざたされていた。もともと看護婦さんだったので、支援団体は日本看護協会。法務とは畑違いなので、前述のような発言になったのだろう。
ここからは推測の域を出ないのだが、法務省の事務方は、南野氏が大臣に就任して以来、自信のなさからくる失言に神経をつかってきた。国会の場ならあらかじめ質問が分かるので用意できるが、タウンミーティングとなるとどんな質問が飛び出すか分からない。そこで、「やらせ発言」を苦肉の策として考えた、と推測である。森山真弓氏が引き続き大臣だったらこんな「やらせ」はなかったろうとまで書いた。前回、ここで話は終わっている。
きょうはその後日談である。この批判コラムを書いたのは12月16日である。その3日後、私(筆者)はその南野知恵子氏とエレベーターで遭遇することになった。
場所はイチョウの枯葉が舞い散る国会議事堂近くの参議員会館。19日、ある用事で訪れた。打ち合わせが終わり、地下の食堂で食事をして再度、訪問先の4階の部屋に向かおうとエレベーターに乗り込んだ。すると「待って」という声と同時に2人の女性がドカドカという感じで入ってきた。その2人のうちの1人がまぎれもない南野氏だった。身長は150㌢ぐらいだろうか、それまでテレビでしか見ていなかったので実物は随分と小柄だ。そして、すっかりトレードマークとなったピンクの上下は実に目立つ。
時間は午後1時30分ごろ。南野氏は3階で降りた。遭遇はそれこそ沈黙の10数秒だったろう。その必要もないのだが、言葉が思い浮かばない。他の人にはいつもの空気だったろうが、私にとってはなんとも落ち着かない異様な雰囲気であった。何しろ、ブログでつい先日書いた人物が、目の前にその存在感を持っていきなり現れた。たじろぐのはこちらの方だ。
周囲の人と共有するものが何もなく、ブログとはかくも個人的の世界なのだと実感した瞬間でもあった。つまり、私の意識の中で起きたちょっとしたハプニングだった。結論めいたものはなく、話はこれで終わる。
⇒21日(木)朝・金沢の天気 はれ