自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★ニュースアングル2006「敗北か」

2006年12月28日 | ⇒ドキュメント回廊
 ことしのニュースで印象深かったもの、それは12月10日の剣道世界選手権だった。男子団体が準決勝にアメリカに敗れた。37年目にして喫した敗北だった。各紙が歴史的な敗北として、「剣道敗れる。日本の国技危うし」「剣道最大の危機」などど見出しを立てた。折りしも、ハリウッド映画「ラストサムライ」がヒットしただけに、日本のプライドが傷ついたのかも知れない。しかし、当の外国人は勝負のレベルでこの試合結果を考えているのだろうか、と思う。

 このニュースを読んで、去年7月、金沢大学で講演いただいたイギリスの大英博物館名誉日本部長、ヴィクター・ハリス氏=写真=の言葉を思い出した。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人物だ。ハリス氏はヨーロッパ剣道連盟の副会長の要職にあった。そのハリス氏が講演の最後の方に以下のような苦言を呈した。

 日本の剣道は精神文化の一つの行き着く先でもある。それを、国際的なスポーツにしようと意識する余り、勝ち負けという小さな世界に押し込めるのはいかがなものか、と。「ヨーロッパで剣道を始める人のほとんどは、勝ち負けを超えた、その精神性にあこがれて入門している」と。剣道をオリンピックの競技種目にとの声が日本人から発せられていることを牽制したかたちだ。「誇り高い精神修養を勝ち負けだけの判断基準であるスポーツに貶(おとし)めるな」とハリス氏は強調したのを覚えている。

 この点からいくと、アメリカチームが日本チームを凌いだことは意味がある。ハリス氏流に解釈すれば、剣道の宗家である日本に勝つことは宮本武蔵に一歩近づくことと同じなのだ。サムライの中のサムライ、宮本武蔵に近づいたという実感がアメリカチームに湧き上がったに違いない。

 勝ち負けではなく、ストイックに技を極めるプロテスタントの精神と剣道は合理性が合っているのかもしれない。ふとそんなことを考えさせるニュースだった。

⇒28日(木)夜・加賀市山代温泉の天気  あめ

 

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