自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「森は海の恋人」の方程式

2010年08月12日 | ⇒トピック往来
 「森は海の恋人」。この詩情あふれる言葉が多くの人々を広葉樹の植林活動へと駆り立てている。先日(8月6日、7日)、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの講義に来ていただいた畠山重篤氏(宮城県)=写真=は「森は海の恋人」運動の提唱者だ。気仙沼湾のカキ養殖業者にして、「科学する漁師」としても知られ、著書に『鉄は地球温暖化を救う』(文藝春秋)がある。2日間にわたった講義のテーマは「森は海の恋人運動の22年」「物質循環から考える森は海の恋人」である。以下、要約して紹介する。

 畠山氏らカキ養殖業者は気仙沼湾に注ぐ大川の上流で植林活動を1989年から20年余り続け、約5万本の広葉樹(40種類)を植えた。この川ではウナギの数が増え、ウナギが産卵する海になり、「豊饒な海が戻ってきた」と実感できるようになった。漁師たちが上流の山に大漁旗を掲げ、植林する「森は海の恋人」運動は、同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで始まった。スタート当時、「科学的な裏付けは何一つなかった」という。雪や雨の多い年には、カキやホタテの「おがり」(東北地方の方言で「成長」)がいいという漁師の経験と勘にもとづく運動だった。この運動が全国的にクローズアップされるきっかけとなったのは、県が計画した大川の上流での新月(にいつき)ダム建設だった。

 このとき、畠山氏らの要請を受けた北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)が気仙沼湾の魚介類と大川、上流の山のかかわりを物質循環から調査(1993年)し、同湾における栄養塩(窒素、リン、ケイ素など)の約90%は大川が供給していることや、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることが明らかとなった。ダムの建設は気仙沼湾の漁業に打撃となることを科学的に示唆した。この調査結果は県主催の講演会などでも報告され、新月ダムの建設計画は凍結、そして2000年には中止となる。

 畠山氏が強調したのは、松永教授に依頼したのは、ダム反対運動の論拠を示すというより、むしろ「漁師が山に木を植えることの正当な理由が科学的に解明すること」であった。ダム反対のスローガンを掲げずに取り組んだ「森は海の恋人運動」はソフトな環境保護運動として人々の共感を得たのだった。

 ここに人と自然を関係を考える大きなヒントがある。里山と里海が、川を通じて自然がネットーワ化されているように、そこで暮らす人々もまたネットワークを結んで地域を再生していく理念となりうるということなのだ。つまり、「森は海の恋人」という詩情と物質循環という科学で裏打ちされた、流域の民の共有理念とも言える。

 話はくどくなるが、里山や地域を再生するには、人と自然をつなぐ理念が必要だろう。理念がなければ、人と自然はどんどんと離れていく。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰ると考える。本題に入る。物質循環など自然のネットワークの仕組みをもっと分かりやすく解明すれば、おのずとお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの認識を科学が教えてくれる。これを個人が有するというより、地域に生きる人々の理念として共有できないだろうか。公共の福祉や利益の実現のために人々がかかわること、あるいはもっと積極的に言えば、助け合うことである。

 このネットワークが、上流域の里と下流域の都市、あるいは大陸では上流域の国家と下流域の国家となろう。人や組織が有機的に結びつくことで、市場では得られない価値、それを「関係価値」と呼んでおこう。従来の物質的な豊かさや利便性だけを追求する価値観とは異なり、環境を理念とする関係価値という新たな公共の概念となり得るのではないか。

 畠山氏は講義の最後にこう述べた。「日本には2万1千もの河川がある。下流と上流の人々が手を携えて、山、川、海の再生に取り組めば、環境や食料、コミュニティなどの問題解決に大いに役立つのではないか」。「森は海の恋人」は地域再生の方程式なのかもしれない。

⇒12日(木)朝・金沢の天気  あめ
コメント (3)
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