自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆匿名と実名の間

2013年02月07日 | ⇒メディア時評
  日本のマスメディア(新聞やテレビ)の報道には「夜討ち」「朝駆け」という言葉がある。事件の取材や政治のネタを扱う場合、ネタを取るのにもスピード感が必要で、相手方(ライバル紙)に先んじればスクープとなり、同着ならばデスクにしかられることはない。先を越されれば、「抜かれた」と叱責をくらう。警察取材(サツ回り)の新人には、「夜討ち」「朝駆け」は記者教育の基本として教えられる。

  これはニュースにおけるスクープやスピードだけのことなのだろうか。先日、現役の新聞記者と話す機会があり、話題になった。記者によると、「夜討ち・朝駆けという取材手法があるのは世界で日本と韓国だけらしい」と。続けて、「複数の記者たちを前に事件が経緯や概要を発表するのはある意味で建て前だ。ただ、捜査の経緯の中で隠されたことや、謎の部分で公表したくてもできない場合がある、つまりその本音を聞きたい」と。

  面白いのはそれが日本と韓国だけらしい、という点だ。確かに、両国とも本音と建て前の精神性がある。かしこまっての公の場ではなかなか本音が出ない。ならば、裏の非公式な場でその本音の話を聞こうとなる。ただ、本音の話を聞き出せても、実名はなかなか書けない。そこで、「警察幹部によると」などの書き出しで始まることになる。匿名である。

  これが政治の世界の取材となると、「オンレコ」と「オフレコ」になる。オン・レコードはメモ取り、オフレコはオフ・レコードはメモ取りなし。オンレコは記者会見といった実名で発言内容がニュースになることが多い。オフレコは一応記事にしないことを前提とした取材を指す。情報のニュースが高く記事にする場合は、オフレコの発言者を「与党幹部」や「政府筋」といった匿名の表現にとどめる。発言内容も一切報道しない完全オフレコという場合もある。

  では、読者の方が「なぜ匿名だ、実名にしないのか」と訴えたことがあるか。未聞である。むしろ、個人情報保護に関する過剰反応によって、社会の匿名化が進んでいる。学校の名簿から先生の住所、電話番号が削除されたり、町内会が災害に備えて1人暮らしの高齢者の名簿をつくろうとしても個人情報保護の壁に阻まれてできなかったりした例などいくらでもある。

  新聞社やテレビ局などでつくる日本新聞協会は、こうした行政などの「匿名発表」は容易に拡大し、やがて意図的,組織的な隠ぺい、ねつ造に発展するおそれがあると警告している。「実名発表」は「事実の核心」であり、実名があれば「発表する側はいい加減な発表や意図的な情報操作はできなくなる」として、読者や視聴者の「知る権利」に応えるために「実名発表」が必要だと主張している。が、肝心の新聞やテレビが上記で述べたように、取材元を匿名化しているので、なかなか説得力を持たない。

  ましてや、先月起きたアルジェリアで起きた人質事件で、日本政府は当初、事件に巻き込まれた大手プラントメーカー「日揮」の意向に配慮し、被害者の氏名を明らかにしなかった。日揮の意向とは、被害者遺族へのメディアスクラム(集団的過熱取材)を案じてのことだ。

  匿名を一律に否定している訳ではない。メディアの取材源の秘匿は言うまでもない。ただ、安易に匿名化することに日本の新聞やテレビは慣れきっている気がしてならない。テレビでも、映像にホカシや音声を変えているケースが多々ある。「実名が取材のスタート」であろう。新聞やテレビがこの「実名改革」を推し進めない限り、信頼が増々失われるのではいないか。最近そんなことを思っている。

⇒7日(木)夜・金沢の天気     風雨
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