
パルビスGIAHS事務局長が能登の農業者に語ったこと(上)
では、パルビス氏は能登でどんなことを語っているのだろうか。国際GIAHSセミナーでのスピーチ(英語)を日本語で採録してみる。このセミナーのテーマは、「パルビスGIAHS事務局長と日本のGIAHSを担う人々との対話」である。能登と佐渡のGIAHS担当の行政マンや農業者らとパルビス氏が直接対話するという形式で、日本のGIAHSに期待すること、GIAHSの目指すところ、未来に向けてのGIAHSの意義など示唆に富んだものだった。なおこのセミナーの様子はニュースレターとしてGIAHS公式サイトで掲載されている。パルビス氏のスピーチのタイトルは「Cultivating Diversity in our Agricultural Heritage Systems(世界農業遺産システムによる多様性の涵養)」。以下。

これは非常に喜ばしいことで、とても成功していると思えますが、同時に、土地の質が悪化し、砂漠化、気候変動、貧困、移住といった様々な問題が起こっています。農業セクターが大量の食料を生産することによって成し遂げたことは、地球の自然資源の基盤を破壊し、多数の問題を引き起こしたのです。
私自身、ペルシャにおける浸食の問題を目の当たりにしてきました。農地の多くが塩類化し、牧草地の質が悪化して家畜が食べる牧草がほとんどなくなり、砂丘が農地にも広がって、都市で洪水が起こるようになりました。これは気候変動と、貧困による人々の移住が原因です。
私たちは、「危機に瀕する農業システム(Agricultural Systems At Risk)」というタイトルの本の中で、このような事例を多数取り上げました。農業に関連した多数のシステムが危機に瀕しています。例えばヨーロッパでは、水の汚染、生物多様性の喪失、気候変動の影響など、多数の問題が起こっています。場所が変わればリスクの種類も異なるため、私たちのこれからの食の安全や発展にはたくさんの不確実要素があります。その一つの例が、インドや中国、中東、南米など乾燥地帯にある多くの国の地下水の枯渇です。地下水は灌漑の源であるため、地下水の枯渇と汚染が起こっている多くの国は、食の安全が脅かされて非常に困難な状況に置かれています。灌漑のためにあまりに多くの水をくみ上げたため、水が枯れてしまったのが原因です。
もちろん、伝統的な農業システムも危機に瀕しています。例えば中国の棚田は世界農業遺産の一つですが、人間の創造力がいかにこのような美しい棚田を生み出し、素晴らしい灌漑システムを作り上げてきたのか、物語ってくれています。この棚田では米と一緒に魚が育てられ、地域の人たちに食の安全を保障してきました。しかし現在では、十分な支援政策がないためにこのような棚田が放置されたり、破壊されたりしています。このように消滅してしまったシステムもあるのです。
さて、2050年に向けて考えてみますと、私たちには多数の課題が待ち構えています。私たちはすでに自然資源の基盤を破壊してしまい、私たちの将来にはとてつもない課題が潜んでいます。途上国での最も重要な課題の一つは、貧しい国における人口の増加です。現在、最も貧しい途上国の人口増加率は先進国の6倍になっています。もう一つの問題は、私たちの消費パターンの変化です。野菜や穀物、果物より肉を食べる人がどんどん増えています。伝統的な社会では近代的な社会よりはるかに多く野菜を消費していました。肉を1キロ生産するには、1キロの穀物・果物・野菜を生産するよりも10倍の水が必要とされます。これはとてつもない問題です。特に乾燥地帯の一部の国では、水はすでに貴重な資源となっており、水問題が起こっています。このような国は、インド、中国、ブラジルなど、世界中に多数あります。乾燥地帯の国では、水はすでに枯渇しています。手に入る水はほとんどなく、飲用水でさえ非常に貴重です。しかし食生活の変化により肉を食べるようになり、ますます水が必要とされています。私たちはすでに水が足りないという問題を抱えており、これは重大な問題です。
このような、人口増加、都市化、消費パターンの変化により、私たちは世界全体で食料の生産を60%、途上国に限れば100%増加させる必要があります。私たちの資源はすでに限られており、さらに資源が減少していますから、これは大きな課題です。となると当然、私たちには変化が必要です。私たちの開発のパラダイム、特に農業開発のパラダイムを変える必要があります。なぜなら、過去50年で私たちが成し遂げたあらゆる成功にもかかわらず、その背後では私たちはあまりにも多くの資源を失い、劣化させ、今後も同じ道を歩み続ければたくさんの問題が起こるからです。私たちは、農業を行う方法を変える必要があるのです。
途上国の貧困層でも最貧困の人たちについてお話しますと、彼らには十分な食料も、十分な水も、十分な保健衛生もありません。私たちが過去50年間に成し遂げた様々な成功にもかかわらず、いまだに10億人以上の人が飢餓に苦しんでいます。ですから、今お話ししているこのパラダイム転換を引き起こすためには、次のように問いかけるべきです。つまり、農家は低いコストで、地元で利用できる技術を活用し、気候変動シナリオを考慮に入れて、どの程度まで食料生産を改善できるか、そしてこのような食料生産システムは、環境資源やサービスにどのような影響を与えるのかという問いです。
グローバリゼーションは貧困、食料不安、自然資源の劣化といった問題を解決してきませんでした。ですから少し遡って考えてみる必要があるというのが大事なメッセージです。現在では、先進国と新興国、そして貧困国の食料生産システムは同じではありません。1週間分の食料に必要な金額を比較すると、先進国では1週間当たり約350ドル、1日当たり50ドル程度ですが、チャドのような国では1週間でたったの1.35ドルです。先進国では、ありとあらゆる食料があふれているのに、一家族分の食料は途上国より340倍も高いのです。途上国の貧しい人々は、食料に必要な収入を得ることは決してできません。加えて、先進国には食の多様性が存在しているように見えますが、真の多様性は存在しません。あるのはパッケージの多様性、物を詰め込むカラフルな箱の多様性なのです。
さらに、食の多様性の喪失は、二重の問題を引き起こしています。途上国では、食の多様性の喪失により、人々が栄養不足や微量元素不足に陥っています。先進国では、貧弱な食生活と食の多様性の喪失により、裕福病のような問題が起こっています。これは、タイプ2の糖尿病や、心臓疾患、肥満などです。先進国と途上国の両方とも、食の多様性を減少させてしまった結果、食料生産の方法に問題が起こっているのです。幸運なことに、これは日本には当てはまりません。日本は伝統を維持し、食の多様性を維持してきましたが、アメリカやオーストラリア、ヨーロッパ、その他の先進国や、途上国の大都市では、食の多様性がどんどん貧弱になってきています。日本や中国のような国でさえ、若い世代では食の多様性がますます貧弱になっており、健康問題が起こるようになってきています。食の多様性と栄養がもはや十分存在せず、脂肪分や糖分をより多く摂取するようになってきているので、当然、健康問題がより多く起こるのです。
食の多様性は生物多様性と関連しています。南米のペルーとアンデス地方にはジャガイモが230種あり、それぞれ色や味が異なります。乾燥地域に非常にたくさんの種子作物と穀物が存在していましたが、食べられなくなってしまったのですべて失われてしまいました。この点でも中国、インド、日本は幸運です、これらの国では食の伝統を守ってきたため、幸いなことに依然として食の多様性が守られています。これは一般的なことではありません。また、機能的生物多様性と呼ばれるものも失われてきました。これはハチの授粉能力の喪失のことで、農業にあまりにも多くの農薬が使われていることが原因です。ハチや昆虫がいなくなり、農作物が受粉ができなくなって、多くの国で大問題になっています。
私たちは、重要な課題と解決のチャンスの両方が小規模な農家と家族経営の農家にあるとの結論に達しました。小規模農家や家族経営農家は地域で生産活動を行い、自然環境をよりうまく維持し、輸送費をかけたり炭素を排出せずに食料を流通させています。そしてもちろん、今日でさえ、世界の食料の70%以上を生産しています。このような小規模農家になぜ投資をしないのでしょうか。何を生産するかにかかわらず、地元の小規模農家に投資をすれば、多様性が広がります。その方が生態学的に優れており、実行可能です。こうすれば、私たちは食料生産の問題を解決できるだけでなく、環境管理の問題にも貢献できます。もちろん、文化、生物多様性、環境保全は互いに関連し合っています。文化は私たちの文明の根幹です。米の生産は多数の文化的ルーツを生み出しました。中国、ヒマラヤ、インド、インドネシア、日本、ベトナム、ヒンズー教の寺院には、様々なお米の神様やお米の象徴が存在します。ですから食と文化は非常に密接に関連しているのです。文化を維持したかったら、食の多様性を維持しなければなりません。食の多様性を維持したかったら、文化の多様性を維持しなければなりません。ここには非常に重要なつながりがあります。
世界に存在するこのような一般的な課題を受け、私たちは私たちが主題の核心、すなわち、GIAHS(世界重要農業遺産システム)の動的保全という領域に到達しました。このプログラムは、今お話ししたすべての問題に応えることを目的としています。GIAHSは、2002年にヨハネスブルグで行われた持続可能な開発に関する世界サミットにおいて私たちが立ち上げたグローバル・パートナーシップで、持続可能な開発に関する需要に応えるものです。
GIAHSには、5つの重要な選定基準があります。1つ目はローカルな食と暮らし、2つ目は生物多様性と遺伝資源、3つ目は個人とコミュニティに関するローカルな知識、4つ目は製品やサービスの多様性を含む農業(agri-“culture”)の文化的多様性、そして最後の5つ目は景観の多様性と美しさです。これが、GIAHSシステムを認定する際の五つの選定基準です。GIAHSは、これらの基準を最低50%から70%満たさなければなりません。例えば、生物多様性の非常に豊かな地域や、文化的多様性の非常に豊かな地域、あるいは景観の美しい地域があります。興味深いことに、ほとんどの場合これらは同時に存在しています。こういったものがすべて揃って、世界農業遺産となります。
能登と佐渡島がGIAHSに立候補したとき、これらの基準をすべて検討、分析、評価をまとめてFAOに送付しました。私たちは能登と佐渡島を訪れて、重要な生物多様性、ローカルな食、文化的多様性が存在し、この地域が美しく、コミュニティ意識があり、人々が土地・水・景観の管理方法を理解していることを確認しました。文化の多様性もありました。これらすべてが一体となって、GIAHSの候補地として提示されました。これに基づき、もちろんFAOと事務局だけでなく、科学委員会も一緒になってこれらの基準を評価し、運営委員会に提案して、FAOが能登と佐渡島をGIAHSとして選出・認定しました。
もちろん、私たちはこれらの基準のフォローアップとモニタリングを続け、改善されなかったり、悪化したりしたことが明らかになれば、そのGIAHSシステムは自然にその認定を失います。モニタリングは2~3年ごとに行われます。私たちはGIAHSの地域を再び訪れて改善や悪化を評価します。ユネスコの世界遺産システムも、遺産地が適切に維持されなければ認定が取り消されます。GIAHSでも同じです。常に改善されなければいけないのです。だからこそ、地域コミュニティと国や県の政策とが力を合わせて、より良い未来のためにこのシステムを維持していかなければいけないのです。(つづく)
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