G7(主要7ヵ国)の外務大臣がきのう(11日)、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者の慰霊碑に花輪をささげた。とりわけ、アメリカのケリー国務長官の姿に視線が注がれた。ケリー氏は予定になかった原爆ドームも見学した。テレビ画面を視聴しての印象だが、すがすがしい感じがした。
今回の外相会議に際してアメリカ側は「原爆投下について謝罪はしない」とのスタンスだ。なぜなら、今は現在と未来について話し合っているからだ、と。この方針のもと、ケリー氏は平和記念公園を訪れた。適切なスタンスだ。日本人として不快感を感じる人はいなかっただろう。記者会見したケリー氏は帰国後にオバマ大統領に「(被爆地)訪問がいかに大切かを確実に伝えたい」と述べたという。未来を切り拓く、未来を担保するとはこのようなスタンスなのだと思う。
もし、日本の世論がケリー氏に原爆投下の責任と謝罪を迫ったり、非人道的な行為だったとデモが平和記念公園周囲で起きていたら、おそらくこうはならなかった。アメリカ側も戦勝国意識を強く打ち出していれば、ケリー氏の被爆地訪問すら実現しなかったろう。
70年前の過去の乗り越えて、いかに被爆地・広島から核兵器のない世界を目指すか。核軍縮と不拡散にG7で一致して取り組むかが、今問われている。ましてや、核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮問題が憂慮されていからなおさらだ。
核なき世界を掲げたオバマ大統領にとって広島への訪問はおそらく悲願だろう。オバマ大統領は2009年のプラハ演説で「核兵器を使った唯一の国として行動する道義的責任がある」と述べ、ノーベル平和賞を受賞している。が、それが思うようにできないところにアメリカの事情がある。大統領の被爆地訪問を「謝罪」と受け止めるアメリカ側の世論があり、原爆投下によって戦争を早く終結させたとのアメリカ側の大義名分を揺るがす恐れがあるからだ。
日本はこれまでアメリカ側に原爆投下に関して謝罪を求めてこなかった。国際司法裁判も起こしていない。現実を受け入れ、未来に向けて、日本とアメリカが共に協力して、自由と民主主義、基本的人権の尊重、法治と国際法遵守の価値観のもとで世界の平和にどう貢献していけばよいか、これまで模索してきたからだ。戦勝国と敗戦国の関係で世界平和は築けないことは両国が一番よく気づいているのではないか。
今回G7の外務大臣が平和記念公園を訪れたことによって、国際社会で核なき世界を作っていく機運を盛り上げる歴史的な一歩になった、そう感じたニュースだった。
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