アメリカ人の宇宙への興味は尽きない。BBCニュースWeb版日本語(2月19日付)によると、NASAは18日午後3時55分(アメリカ東部時間、日本時間19日午前5時55分)、探査車「パーサヴィアランス」の火星着陸に成功した、と伝えた。火星の赤道付近にあるジェゼロと呼ばれる深いクレーターの中に降り立った。NASAが火星に探査車を着陸させたのは、2012年の「キュリオシティ」に次いでこれが2度目となる。
重さ約1㌧のパーサヴィアランスは6つの車輪で移動。今後2年以上にわたって岩石部分を掘り進め、生命が存在していたことの証拠を探す。幅約45キロメートルのジェゼロ・クレーターは、数十億年前に巨大な湖があった場所とされる。水があれば、生命が存在した可能性はある(同)。地球外の生命体を探究するために莫大な経費を使い、ここまでやる。科学は見果てぬ夢でもある。
このニュースで思い起こすのは、2010年11月にNASAが「宇宙生物学上の発見について」と題した記者予定を公表し、大騒ぎになったことだ。アメリカのテレビ・新聞のメディアは、「地球外生命体を発見か」などと報じた。12月3日(日本時間)のNASAの会見は世界のメディアだけでなく、ユーストリームなどネットでも中継された。ところが、会見は「ヒ素を食べる細菌の新発見」という内容だった。確かにこれまでになかった宇宙生物学上の発見だったものの、見えるカタチの生命体をイメージしていただけに肩透かしを食らった格好になった。
とは言え、今回のNASAの火星の生命体への探究に信念のようなものを感じる。以下雑学である。アメリカの宇宙への関心度を高めたのは天文学者パーシバル・ローエル(1855-1916)ではないだろうか。ローエルは1916年に海王星の彼方に「惑星X」が存在すると予知し、他界する。その弟子クライド・トンボーが1930年にローエルの予知通りに新惑星の発見し、プルートー(冥王星)と名付けた(2006年の分類変更で「準惑星」に)。このことでローエルとトンボーは天文学史上で名前を残すことになる。
ローエルはアメリカ人の宇宙への好奇心を煽ることにもなる。ローエルは火星人存在説も唱えていた。アリゾナ州に築いた天文台から火星を観察すると、表面に見える細線状のものは運河であり、火星には知的生命体が存在する、と。このローエルの説は、アメリカのSF小説に影響力を与えていく。1938年10月3日、CBSラジオ番組のハロウィンに合わせたスペシャル番組で、俳優であり監督のオーソン・ウエルズが、イギリスの著作家で「SF(Science Fiction)の父」とも呼ばれたハーバート・ジョージ・ウエルズの小説『宇宙戦争』をドラマ化した。普通の番組を放送している最中に臨時ニュースで、火星人が襲来し、アメリカの都市を攻撃している、と放送。「臨時ニュース」を聞いた人々はパニックに陥った。実話である。
では、ローエルの火星人存在説の根拠となった、運河説はどこから得た発想なのだろうか。今から132年前の明治22年(1889)5月、ローエルは東京に滞在していた。そのときに、日本地図を広げて、能登半島のカタチと「NOTO」という地名の語感に惹(ひ)かれ、鉄道や人力車を乗り継いで当地にやってきた。七尾湾では魚の見張り台である「ボラ待ち櫓(やぐら)」によじ登り、「ここは、フランスの小説でも読んでおればいい場所」と、帰国後に随筆本『NOTO:An Unexplored Corner of Japan』(1891)で記した。ローエルが述べた「フランスの小説」とは、当時流行したエミ-ル・ガボリオの「ルコック探偵」など探偵小説のことを指すのだろうか。
その後、ローエルはアリゾナ州に天文台を創設し、火星の研究に没頭し、その成果を著書『Mars(火星)』(1895)などにまとめた。ローエル研究者のウィリアム・シーハンは論文「To Mars by way of NOTO」(2005)で能登の海から火星の運河を着想したのではないかと述べていると、天文学マニアから聞いたことがある。残念ながら、自身はその論文を読んではいない。
東京に滞在し日本地図を見ていたローエルが能登に興味を持ってやって来た。入り組んだ湾岸のベンチ(ボラ待ち櫓)で一日過ごし、フランスの小説を読んでいた。アリゾナの天文台から火星を観察し、能登の海から運河説を着想する。それがSFという発想を国民に膨らませ、その後アメリカとソ連が宇宙開発競争へと突き進んでいく。興味が尽きぬアメリカは火星探査を続けて生命体の発見に懸命だ。ストーリ-としては面白い。
(※写真・上は能登半島・穴水町にあるパーシバル・ローエルの来訪記念碑、下はローエルが海のベンチとして一日過ごしたボラ待ち櫓。写真は当時のものではない)
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