自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登半島地震 良寛の禅の言葉「災難に逢うがよく候」

2024年02月08日 | ⇒ドキュメント回廊

     能登の名刹、輪島市門前町の総持寺を訪ねた(今月5日)。参道入り口の灯籠は倒れ、石畳が一部はめくれ上がっていた。参道を上ると右手にある、加賀百万石の礎を築いた戦国武将・前田利家の正室まつの菩提寺である芳春院は見る影もなく全壊していた=写真・上=。そして、総持寺の山門の左右に延びる回廊の正面右手が崩れ落ちていた=写真・下=。座禅堂の屋根の瓦もはがれ落ちている。総持寺の公式サイトによると、今回の地震で建物の多くは全壊や半壊、部分損壊の状態となり、国の登録有形文化財17棟全てが被災した。

   1321年に開創された総持寺は曹洞宗の禅の修行寺として知られ、末寺は1万6千余を数える。1898年、明治の大火で七堂伽藍の大部分を焼失。これを契機に1910年、布教伝道の中心は横浜市鶴見区に移る。能登の総持寺は「祖院」と改称され別院扱いとなった。その後の再建で山門や仏殿などがよみがえり、周囲の山水古木と調和して大本山の面影をしのばせる(総持寺パンフ)。

   その総持寺が2007年3月25日に発生した震度6強の揺れで甚大な被害を被る。坐禅堂などは倒壊状態となった。寺では復興委員会を立ち上げ、「耐震保存復興」を掲げて修復工事を開始。推定200㌧とされる山門の全体を持ち上げて移動させ、耐震のための地盤改良なども行った。寄付など40億円を集め、14年の歳月をかけて再建。開創700年に当たる2021年4月には落慶法要も営まれた。また、輪島市とともに復興を宣言し、観光誘客も順調に進んでいた。そして、2024年元旦に震度7の揺れに見舞われた。

   今回の地震で拝観は中止となっている。拝観中止は2007年3月以来となる。翌年2008年の8月に知人たちと総持寺を訪れ、「瓦寄進」をしたことを覚えている。瓦に祈願の文字を書き、お布施をした。ふと見た、前の人が書いた瓦の祈願の文字が印象に残っている。禅僧の良寛の言葉と書いてあった。「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候」。避けようがない災難には目をそむけたりせず、まずは受け容れるしかない。そこから善処を尽くす。そんな意味だと自分なりに解釈している。

⇒8日(木)夜・金沢の天気   くもり

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