前回ブログの続き。15日に回った穴水町由比ヶ丘や能登町白丸では地震だけでなく、がけ崖崩れや津波、火災といった複合災害で甚大な被害が出た。これらの地域では3ヵ月過ぎても被害状況はそのまま、人影もほとんどなかった。
気になった寺があり、帰りに立ち寄った。1月5日に能登町神和住を通ると、石垣の上に今にも倒れ落ちそうな鐘楼堂があった=写真・左=。石垣が一部ひび割れ、根元から大きく傾いている。地震前日の大みそかに多くの人たちが除夜の鐘をつきに訪れただろうと思うと、地域の人たちが鐘楼堂を見るたびに感じるであろう緊張感が伝わってくるようだった。あの鐘楼堂はどうなったのだろうかと気になっていた。
再度訪れると、まさに修復中だった=写真・右=。鐘楼堂はまっすぐに直され、ひび割れた石垣の周囲を木製のブロックで囲って支えているように見えた。さらに、柱に補強が施されていた。屋根と柱のみで構成された鐘楼堂は、重量級の梵鐘を支える柱が要(かなめ)とされる。このため、4本の柱は強度を増すため、踏ん張るように少し斜めに建てられている。これを宮大工は「四方転び」と呼んでいる。鐘楼堂は寺院のシンボルでもある。耐久性だけでなく建物としてのバランスや建築美の視点も欠かせない。それを見事に復元させているように思えた。
と同時に、おそらく自らも被災したであろう檀家衆が寺の住職と寄り添い修復の実行へと動いた志(こころざし)に地域のパワーを感じた。
⇒17日(水)午後・金沢の天気 はれ