安倍晋三氏が凶弾に倒れ亡くなり、去年9月27日に日本武道館で国葬が営まれた。中継番組をNHKなどで視聴していた=写真=。昭恵夫人が遺骨を抱いて車から降りて会場に入る。開式の辞で始まり、国歌演奏、黙とう、政府が制作した生前の安倍氏の映像を映写、追悼の辞(三権の長がそれぞれ、友人代表)、皇族による供花、献花(海外参列者、駐日大使ら)など淡々と進んだ。むしろ目立ったのは、きびきびとした動きの自衛隊の儀杖隊だった。
追悼の辞で、友人代表として菅前総理が興味深いエピソードを紹介していた。平成12年(2000年)、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしていた。当選2回目だった菅氏は「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と自民党総務会で反対意見を述べた。これが紙面で掲載され、記事を見た安倍氏が「会いたい」と電話をかけてきた。このことが、安倍氏と菅氏が北朝鮮の拉致問題にタッグを組んで取り組むきっかけとなった。当時の森喜朗内閣や外務省は日朝正常化交渉を優先していて、拉致問題はむしろ交渉の阻害要因というスタンスだった。
安倍政権の官房長官として苦楽を共にした菅氏は、明治の政治家・山県有朋が長年の盟友・伊藤博文に先立たれて故人をしのんだ歌を詠んで追悼の辞を締めくくった。「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」。追悼の辞で拍手があったのは菅氏だけだったことを覚えている。
安倍氏の国葬は議論を呼んだ。戦後の総理経験者としては1967年の吉田茂氏以来で戦後2人目だった。安倍氏の国葬の理由の一つに挙げられたのが、通算在職日数が3188日と歴代総理の中でトップ(総理官邸公式サイト)だったことだ。ちなみに、戦後政治を立て直した吉田氏は同2616日で5位だった。ならば、同2798日で3位、ノーベル平和賞受賞者でもある佐藤栄作氏はなぜ国葬にならなかったのか、と素人ながら考えてしまう。
国葬に関しては一定のルールを設けるようにとの意見があり、政府は去年12月に国葬を検証する有識者ヒアリングの結果を公表したものの、明文化には至っていない。これについて記者会見(きのう3日)で問いただされた松野官房長官は「国葬の検討に当たっては、時の内閣において責任を持って判断する」と述べている(3日付・共同通信Web版)。はたして国葬の開催基準をめぐっての問題にけじめはつくのか。菅氏が詠んだ山県有朋の歌「今より後の 世をいかにせむ」を、問題を棚ざらしにすべきではないと解釈すれば、まさにこのことだ。
⇒4日(火)夜・金沢の天気 くもり
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます