自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登半島地震 震源地の珠洲は津波と土砂崩れ複合被害

2024年01月30日 | ⇒ドキュメント回廊

   能登半島地震の震源地は半島の尖端部分の珠洲市。きょうその珠洲市に所用があり一日がかりで往復した。これまで金沢の自宅から市役所までは車で1時間30分ほどだが、今回は4時間かかった。幹線道路「のと里山海道」を北上すると崩落の箇所などがあり、う回路を経由して走行することになる。そのう回路には警察のパトカ-や自衛隊のトラック、救急車、支援物資を運ぶ車が列をなしていてゆっくり運転が続く。(※NHK図=✖が震源とされる珠洲市大谷・馬緤地区)

   珠洲市には去年秋の「奥能登国際芸術祭2023」に何度か訪れている。元旦の震度6強に見舞われ、街並みは変わり果てた。石川県危機管理監室がまとめた被害状況(30日午後2時現在)によると、犠牲者は101人、重軽傷者249人、全壊2092棟、半壊1036棟だ。同市は約6000世帯なので、半数超えが全半壊となった。2022年6月19日に震度6弱、2023年5月5日に震度6強の揺れがあり一部地域に損壊があったものの、それでも芸術祭は実施できた。ところが今回はさらに幅広い場所で被害が出た。海岸沿いでは4㍍の津波による被害、そして山沿いでは土砂崩れとまさに複合被害だ。(※写真・上=地震と土砂崩れで崩壊した住宅)

   珠洲市の観光名所として知られる見附島も変わり果てていた。そのカタチから通称「軍艦島」と呼ばれていたが、2022年と2023年、そして今回と度重なる揺れで、勇壮な面影は変化した。(※写真・下=津波で海岸に打ち上げられた漁船、地震で崩れた見附島)

   震源地にもっとも近いとされる同市の大谷・馬緤(まつなぎ)地区。所用の帰りにここを通って帰ろうとしたが、土砂崩れなどで通行止めとなっていた。馬緤という地名には伝説がある。壇ノ浦の戦い(1185年)で名を上げた源義経が兄・頼朝との仲違いで京を追われ、奥州・平泉に逃げ延びる途中で一行がここで滞在した。そのため馬をここで繋いだので、「マツナギ」という地名になったという。大谷地区にも平家伝説があり、歴史と伝統がある地区でもある。ふるさとを離れる避難者の想いはいかほどか。

⇒30日(火)夜・金沢の天気   くもり


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