魚のアトリエ”うおとりえ”

新鮮な魚を美味しく食べたい!!
 「魚っ食いの365日

これがカツオだ!日戻りガツオ

2010年10月22日 | 浜どんどの市場日記
 日戻りガツオに魅せられて
 何でそんなに市場通いをするのか?と問われれば、その答えは今日のようなカツオに出会えるから、ということになる。
「日戻り・引き縄釣り(銚子港)カツオ」の入荷があった。3.6kg、見事な魚体に魅せられ買い求める。持ち帰り早速下ろす。
ねっとりとした包丁あたりは、美味さを予感させるに十分なものがあった。期待にたがわず見事な赤身でしかもほど良い脂が乗っていた。

 日戻りガツオというのは、出漁したその日一日の漁を終えたら、その日の内に港に帰り水揚げされたものをいう。引き縄釣りの魚というのは、巻き網漁の魚と違って、網の中でもまれることがないから魚の身質が傷まない。つまり新鮮で、品質の高いことが保証されているといってもよい。

 魚っ食いの消費者の立場からすれば、いつでもカツオはこういうものであって欲しいと思う。こんなカツオを食べたら、誰だってカツオが好きになり、魚がもっともっと好きになるはずだ。しかも、今日の価格は驚くような安さであった。この品質、この美味さが保証されるものであるなら、倍の値段であっても惜しくはない。


 ひるがえって魚は、
 漁業資源の枯渇が言われる中、もっともっと一尾一尾の魚を大事に捕り、資源を大切にする漁業に転ずる時期と考える。テレビ・パソコン・カメラ・自動車など、工業製品は研究を重ね量産化によって、高品質・低価格で、われわれはその恩恵に浴している。ところが、魚はどんどん低品質化の道を歩んでいる。限られた「再生資源」である魚を、上手に獲って大切に食べる「賢い国民」にならなければいけないと思う。

 魚は限られた資源であり、自然の仕組みの中でのみ生産されるものだから、勝手に「量産」してはならないものだ。それを「大量生産」「大量販売」の流通システムの中で、生産・消費することに「過ち」があると思えてならない。一本の「日戻りガツオ」を食べながら考えた。
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越後へ米買いに

2010年10月20日 | 食材の源流を訪ねて
 食材の源流を訪ねる旅
 「主夫の台所」を始めてみると、先ずは買い物、食材調達をすることになる。しっかりとした家を建てるには、確かな建材・資材を調達をするのと同様に、健康的な食事を作るには確かな<食材調達>は欠かせない。何が確かな食材なのかを知るには、食材の生産者を訪ねてみるのが一番。
 食材の知識のみならず、独特の食べ方、産地の事情、生産者の意見、生産者から見た消費者の姿など、得るところが多い。より良質な食材を求めて、「源流を訪ねる」ことにしている。その多くがわが家の定番食材となっている。

 魚沼産コシヒカリ
 越後にお米を買いに行き始めて8年る。新米のとれる秋と、初夏5月の年2回。新潟・南魚沼市の知人を頼って頒けて貰う。
1回に60kgの玄米、これが半年分、精米をしながら食べる。わざわざ遠いところを行かなくても宅急便で送ってもらえばよいのだが。
それでは、生産者との会話が出来ない。会話がしたくて出かけることになる


 紅葉見物を兼ねて
 10月18・19日新潟・長野に行く。魚沼から秋山郷を経て、志賀高原へ。さらに妙高高原へと車を走らせた。ことしの紅葉は、夏の猛暑のせいか、鮮やかさがないように見受けられた。米作りにも影響が出ていると言う。自然の力は偉大で良くも悪くも従わなければならない。 

秋山郷のはちみつ
 養蜂家の売店がある。りんご・とち・アカシアなど、500g入りを3壜もとめる。秋山郷に来たら必ず此処による。途中、近くに巣箱を見ることもある。信濃川流域で採取するものが多いという。流域には果樹が多い。真っ赤に実るりんごの樹も沢山見た。女王蜂、働き蜂、雄蜂の3種類がいて、それぞれの役割があること。働き蜂の寿命が2,3ヶ月であることを養蜂の現場で聞くと、いとおしくなる。

 放牧場の牛に牧舎がないこと
 牧場の中にある宿に泊まる。夏の間中ここで過ごし、秋に里に下るのだと言う。三千坪に一頭と聞く。大変贅沢な避暑である。旅館の周囲の草を朝から食んでいる。辺り一帯そここに大きな糞が落ちているが、汚いとも感じない。ここが牧場なのだから。ここには周囲の柵はあっても牧舎はない。風雨の中でも樹木の元など外で過ごすのだということを始めて知って驚いた。この牛が肉となり、牛乳を供してくれることになる。牛肉や牛乳を買うとき、食すとき、この牛の姿を連想することがあるだろうか。ただ陳列の肉を見て、うまそうかどうか、値段を見るのみである。元の姿を見ずに忘れていることが何と多いことか。申し訳ない。

 魚は切り身や刺身、回転寿司のネタのみ。元の姿を知らない人が多い。意識もしない。目のある魚は怖いからいやだと言うことも聞いたことがある。落花生は空中にぶら下がってなっているものと思っていた、と言った人を知っている。これこそ怖い話である。

 長くなってしまったが、これからも「源流の話」を書いてみたいと思う。
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魚の臭み

2010年10月20日 | 魚食生活
 魚は臭くない
 私が市場から買ってきた魚をさばいて、臭いと思ったことはない。ところが魚は臭いものと信じ込んでいる人が多いのは残念なことだ。
大抵の料理本にそう書いてある。臭みをとるためにために、ああしろこうしろと。まな板は、魚用と野菜用と区別しろと。下ろすときには、まな板が汚れるから新聞紙を下に敷いて、ハラワタはそれに包んで捨てろと。

 新鮮な魚は臭くないのに、取り扱いや自分の始末の悪いことを棚に上げて。まるで悪者扱いされている。つまり冤罪である。
まな板は使った後、よく洗えば済むこと。手が臭ければよく洗えば済むこと。新聞紙を下に敷いて魚が上手く下ろせるわけがない。臭い魚魚が刺身で食べられるはずがない。

 臭い魚が平気で流通していることこそが問題なのであって、魚に罪はない。消費者にあるいは料理の専門家にそう思われているのに、一向にそれを改善是正しようと思わない流通関係者は何を考えているのだろうか。テレビで見かける築地市場の人が、新鮮な魚の見分け方を解説している姿、あれほど不思議なものはない。

 新鮮な魚だけを流通させるようにすることが本来なのに。販売している魚屋さんの不始末ならば、改善を指導するか、新鮮でない魚を売らないように指導するのが本来なのに。「魚の臭みはこうして取り除きましょう」と言われて悔しくないのだろうか。消費者に魚は臭いものと思われていて魚の消費が伸びるはずはない。親切めかして消費者教育でもしているがごとき解説を聞くたびに腹立たしくてならない。

 確かに、新鮮な魚であっても匂いがないとは言えない。それはそれぞれの魚が持っている、むしろ香りであって、腐敗にいたる過程の臭気とは区別されるべきもの。果物だって、野菜だって固有の香りがあるから、そこに値打ちがあるのに。仮に無臭の魚があったらその魚は本当に美味しいだろうか。

 築地の移転問題が取りざたされているが、新鮮な魚の流通がどうあるべきかを考えないと、移転か再開発かいずれにせよ、魚そのものが見放されたら元も子もない。家庭で魚を調理して一番困ることは、内臓などの廃棄物の問題。これこそが一番の嫌われもの。どうしたら、ゴミ回収日まで臭くならないか、その方法を研究してもらえないだろうか。

 消費者に新鮮で美味しい魚を提供することを心がけるならば、その心は漁業者の方々に通じて、最適な獲り方をするようになるようになるのではなかろうか。確かに魚は鮮度保持が難しい。しかし、生産者から流通、消費者に到るまでこの”鮮度感”を大切にしなければ鮮魚の将来はない。わが国は長い海岸線を持つ国なのだから、新鮮で美味しい魚を食べない手はない。
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食事作りは偉大な事業-1

2010年10月17日 | 主夫の台所考
 台所作業をビジネス風に見立てる

 毎日の台所仕事は、家を一軒建てる仕事に似ている。
建築構想を描き、設計図を引き、資材調達・管理、施工して引き渡す、それに伴う、労務管理、進捗管理、資金調達などである。
建築は多くの人が関わって一定期間を経て完了するが、台所仕事は毎日々々これを一人で繰り返す。従来、女性が行ってきた。そう考えてみると、これは偉大な事業であり、主婦の仕事はもっと評価されねばならない。
 
 自らの経験から、男の目線でこの「台所事業」をビジネス風に見直してみることにした。

 <台所経営構想>  

1.健康的なよい食事を実現する 
  ・極力、食の素材からつくること。
  ・そのため、食材は良質のものを選ぶこと。
  ・加工済み食品は極力つかわないこと。
  ・調味料も調合済みのものは使わないこと
  ・カロリー・栄養バランスを考えること
  
2.毎日、継続して作れる「家庭料理」を作る。 
  ・調理は、基本的な 生 煮る 焼く 揚げる 蒸す を駆使する。
  ・日々、楽しく、美味しく作る
  ・和食(米食)中心として、洋・中華をアレンジする。

3.経済的であること 
  ・予算の範囲を守りる。
  ・自分で出来るものは、自分で作る。


これに続いて、献立・買い物・調理・家計 などを考えてみたい。

 
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市場日記:横浜中央卸売り市場へ買出し

2010年10月17日 | 浜どんどの市場日記
 毎週週末の金・土は、魚の買出しに行く。これから一週間分の魚の調達が目的である。通い始めておおよそ20年になる。
横浜中央卸売り市場は、いわば横浜の築地市場とも言える市場である。築地と比べて規模は小さいが、7,80店の仲卸店があり、魚好きにとっては格好の散策場所でもある。

 家族二人きりの食材調達であるから、買う魚の量は知れたものであるが、このごろは知り合いの分2~3世帯分も一緒に買うので、少しはまとまった量にはなる。一度に5kgくらい買うこともあるから、売る方もそれなりの対応をしてくれて仕入れ気分も味わえる。

 求める魚の選定要件は、超新鮮であること、品質が良いことが必要要件であり、その選定基準が年々高くなりつつある。その基準に従えば当然、輸入・養殖・冷凍ものは買わない。贅沢かも知れないが、それでなければ魚本来の美味さ・よさが味わえない。さもなければスーパーでこと足りる。

 その朝は、6時過ぎ頃いそいそと出かける。市場は家から12,3分のところにあるからだいたい6時半頃に着く。その時刻、夏は良いが冬は暗くて寒いからこたえるが、魚の顔を見る楽しみがあるから苦にはならない。生活のリズムとなっている。

 今朝は感動の初対面があった。黄色いストタイプをまとった「たかのはだい」である。名前は知ってはいたが、ついぞ市場では見かけたことがない。聞けば、食味のくせがあって市場性がなく、獲れても出荷されないのだそうだ。こういう初対面の魚くんには、仁義とした買うことにしてる。

【10月16日、今日の収獲:大漁】
 たかのはだい
三浦:松輪産、2尾:1.7kg。生で食べるには、磯臭いかも知れないとの話ではあったが、懸念はなかった。
鎧のような硬いウロコで覆われており、引き剥がすのに苦労したが、身はこりこりとした歯ごたえがあり、握って夕食とした。

 かつお
横須賀:長井漁港、1尾:3.7kg、引き縄。戻りガツオの身質ではなく、ねっとりとして赤みの鮮やかな、さわやかな味わいだった。
同じく、握って食べる。残りは、角煮とナマリ節にする予定。

 このはか、小ムツ1尾、東京湾の釣りアジ3尾を、懇意なお店から進呈にあずかりあり難く頂戴する。これも濁った。

 さんま
宮城県:女川産、21尾/4kg。これもかねてから欲しいと思っていたものを、懇意なお店から進呈されあり難くいただく。
これは、全量「サンマの紫蘇煮」にした。というより、ただいま翌午前1時30分ことこと煮ているところ。

 ***写真が都合でアップが出来ないが、近々アップの予定***

 という次第で、大変ハードな一日を過ごす。
産地:漁獲方法の確認は、よい品質の魚を得る最良の手段であり、その習慣をつけている。

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