日々進歩を願って!

思いついたことを気ままに書いています!

三浦市の庚申塔7基

2013年12月01日 08時28分28秒 | 庚申塔
今回も庚申塔に出合って、記録してきました。
いつの日にか、まとめられるといいのですが…。
私は三猿が好きで、三猿の順番が気になっています。


 
刻まれた絵や字が読めなくなっています。        「青面金剛像塔」の説明
主尊の青面金剛以外に、日月や猿、鶏、邪鬼、等が配されている。
青面金剛は、頭髪の逆立った像や僧形や頭巾姿などあり、表情も憤怒、慈悲の相まで千差万別です。
腕の数は、二臂から八臂まで、 持物は、三叉戟、棒、法輪、羂索、弓矢、剣、杖、蛇など。
また「ショケラ」 と呼ばれる上半身裸の女人像の頭髪をつかんでぶら下げているものもあります。    

この青面金剛像の庚申塔は199年前のものです。典型的な青面金剛像なのでクリックで拡大できます。
青面金剛の足元は邪鬼を踏みつけ、左右にニワトリが刻まれています。
上に笠が載っていますので、笠付きと呼びます。


昭和11年の新しいものでした。子年に建立です。
この石碑の形は将棋の駒のようなので、駒形と呼びます。







この写真を撮っているときに、女性から声をかけられました。
『先祖の名前があるのですよ…』元禄の時代のものです。



全部で7基の庚申塔でした。
時代もバラバラ、323年前から77年前まで…この場所に集められたものです。
最近の庚申年は1980年でした。次は2040年です。

三浦半島には庚申塔が数多く残っています。
機会があったら探しに行きたいと思っています。

庚申塔…猿ヶ京温泉

2013年07月18日 21時55分27秒 | 庚申塔
猿ヶ京の地名は上杉謙信の命名で、庚申の年、申の月、申の日に、申年である謙信が縁起の良い夢を見たことに因んで地名を「申ヶ今日」と改め、後に漢字が現在の「猿ヶ京」に変わったとされています。

そんな庚申に由来のある猿ヶ京温泉の地図には庚申塔が記載されています。
どんな庚申塔かと楽しみに探しました。

三国街道沿いある猿ヶ京温泉バス停そばの庚申塔です。

建立年不明

ご近所の人に『庚申塔はどこですか?』とお聞きしました。
奥さんが『5分くらい歩いた左側にありますよ』と教えてくれました。
すると、ご主人が『そうじゃないよ。すぐ先の鳥居のところにあるよ』と奥さんと口喧嘩になりました。
でも、ご主人の言う通り、鳥居のそばにありました。

レンタル自転車で回ったたくみの里にも、4基の庚申塔をみつけました。

建立年不明


昭和55年(1980年)の庚申年に建立
今から33年前の庚申塔です。
次の庚申年は27年後(2040年)ですが、その時代に庚申塔を建てる人はいるのかしら?


大正9年(1920年)の庚申年に建立
93年前の庚申塔です。


安永8年(1779年)建立
234年前の庚申塔です。

猿ヶ京温泉の旅で5基の庚申塔を見ましたが、三猿は刻まれていませんでした。
バスで移動していると、車窓から庚申塔が見えることがあります。
団体行動なので、停めてもらうことも、降りることもできません。
明日は、猿ヶ京で見た花たちを紹介します。

わぁ~たくさん

2012年09月13日 23時33分23秒 | 庚申塔
今日は友人と群馬県高崎市と渋川市を回りました。
群馬県では、コンニャク畑が続いて見えます。
田んぼの稲も頭を下げ、実りの秋が来ていました。


信号をまがったとたん、車から庚申塔らしき石が見えました。
停めてェ~と思わず叫んでしまいました。

やはり、庚申塔でした。
小さい石にも「庚申」の二文字が刻まれています。

横から見た庚申塔群

65までは数えられましたが、多すぎて、いくつあるかは不明です。
100以上あるでしょう。
もしかしたら「百庚申」かもしれません。

おまけの情報
数多くの石塔を建てる風習の1つに百庚申があります。
百庚申は江戸時代中期から明治時代にかけて建立されました。
群馬県下では特に盛んでした。

50肩は痛み止めを飲んで、普通に動かすのが、早く治る方法だと教えていただきました。
『へぇ~』と驚くと同時に、納得してしまいました。
痛くて動かさないよりも、痛みを感じないで動かすのがいいようです。
ちなみに50肩は「肩関節周囲炎」と言う病気です。

玄國寺の庚申塔

2012年08月31日 07時44分12秒 | 庚申塔
以前に立ち寄った新宿区諏訪町の玄國寺に庚申塔があると知りました。
8月6日には寺院の方に寄りましたが、墓地にあるそうです。
昨日、組合会館の帰りに寄りました。

庚申塔は3基あり、すべてに三猿が刻まれていました。
  
延宝3年(1675年)337年前の庚申塔     聞かざる 言わざる 見ざる

  
宝永7年(1710年)302年前の庚申塔     言わざる 聞かざる 見ざる 2匹は横向きです。

  
寛文5年(1665年)347年前の庚申塔     聞かざる 言わざる 見ざる

この3基は重なるように置かれています。
           
3連に置かれているので、2番目、3番目は見にくく、写真も撮りにくい状態です。
道路拡張等でこの墓地の入り口に置かれたものなんでしょうネ。
前から小さい順に並んでいます。

庚申塔…文京区吉祥寺

2012年08月16日 08時44分59秒 | 庚申塔
敗戦記念日の8月15日、二度と戦争は許さない気持ちで過ごしました。
豊島区は23区で初めて「非核都市宣言」を行ないました。(昭和57年7月2日)


知人が駒込病院に入院中との報にお見舞いに行ってきました。
窓からはスカイツリーが見える部屋で闘病生活中でした。
帰りに近所の吉祥寺(きちじょうじ)に寄ってきました。


釈迦牟尼仏坐像で像高は6メートルです。
東京にも大仏様が多くあるのが驚きです。

お稲荷さんの裏に庚申塔があるというので、覗いてみました。

隅の方なので、写真は上からしか撮れません。
石碑の上の方に太陽と月が刻まれています。
下に待望の三猿が見えました。

聞かざる 見ざる 言わざる の三猿でした。
寛文8年(1668年)…344年前の庚申塔です。

庚申塔を調べているわけではありません。
三猿の並び順が違うのと、古いものと新しいものには刻まれていません。
いつ頃、どのように伝わったかに興味があります。
出かけたついでに見てくるのが一番です。