早朝に土湯温泉街を散策し朝食後、楢葉町に向けて出発しました。
山口県や島根県で大雨、福島県も一日雨予報の日でした。
バスは常磐道・広野インターを降りて、案内人と合流、楢葉町へ向かいました。
『雨には濡れないでください』
…この一言で、放射能汚染の怖さを身を持って感じました。
楢葉町は原発20㎞圏内の警戒地域で、避難指示が出され、全町民が避難しています。
楢葉町の交差点で警官の姿がありました。
道の駅ならは
もちろん、休館中です。
温泉施設もあり、とても賑わっていた施設です。
バスの車窓から黒い塊が見えてきました。
野ざらしの放射能に汚染された草・木・木の葉・表土などを入れた袋。
6月2日の明治公園で開催された脱原発集会で袋の耐用年数は3年と聞きました。
今後の処理に注目する必要を強く感じました。
バスは楢葉町を過ぎ、富岡町を走っています。
富岡町は原発10㎞圏内の居住制限区域です。
あちこちに屋根瓦が落ちた家が目立ってきました。
原発事故のため、手が入れられないまま放置されッています。
地震・津波・放射能に襲われた町が目の前に広がっています。
こわれた家と、流された車
地震の時刻で止まった時計
富岡駅
改札口 ホームの黄色い線から見た線路は草だらけ
グニャっと曲がった建物
駅前の共同住宅「ウイングとみおか」
かつては賑わっていたのでしょう…
ゴーストタウンになった富岡駅前商店街
富岡中学校の校庭に積まれた放射能汚染物入りごみ袋
東電福島第二原発エネルギー館
地域の方々との交流を目的に設立された施設。
原子力発電所の仕組みや安全性、原子燃料サイクルについて説明している。
建物はエジソン、アインシュタイン、キュリー夫人の生家がモデル。
館内には幼児が遊べるコーナーもあり、原子力を、楽しみながらしかもタダで学べるぞ。
以上は東電の宣伝文句です…安全ではなかったのです。
福島第二原発へ向かう橋
安全に作業してほしいと願いながら見ていました。
放射能汚染物のゴミ袋詰め作業中の労働者 草刈り中の労働者(除染作業)
気温30℃を超えていても、重装備で働いていました。
旅行計画では、立ち入り禁止線直前まで行くことになっていましたが、時間がなく引き返しました。
バスを降りると、放射線量測定をしていましたが、色も匂いもないので、心配でした。
地震と津波だけだったら、もう復興できていたと思います。
昼食のため小名浜に向かい、その後は塩谷崎へ出発です。
塩谷崎は『大津波が来るとは思ってもいなかった』と言う地域でした。
明日は塩谷崎・薄磯地区の被災状況を書きたいと思います。
山口県や島根県で大雨、福島県も一日雨予報の日でした。
バスは常磐道・広野インターを降りて、案内人と合流、楢葉町へ向かいました。
『雨には濡れないでください』
…この一言で、放射能汚染の怖さを身を持って感じました。
楢葉町は原発20㎞圏内の警戒地域で、避難指示が出され、全町民が避難しています。
楢葉町の交差点で警官の姿がありました。
道の駅ならは
もちろん、休館中です。
温泉施設もあり、とても賑わっていた施設です。
バスの車窓から黒い塊が見えてきました。
野ざらしの放射能に汚染された草・木・木の葉・表土などを入れた袋。
6月2日の明治公園で開催された脱原発集会で袋の耐用年数は3年と聞きました。
今後の処理に注目する必要を強く感じました。
バスは楢葉町を過ぎ、富岡町を走っています。
富岡町は原発10㎞圏内の居住制限区域です。
あちこちに屋根瓦が落ちた家が目立ってきました。
原発事故のため、手が入れられないまま放置されッています。
地震・津波・放射能に襲われた町が目の前に広がっています。
こわれた家と、流された車
地震の時刻で止まった時計
富岡駅
改札口 ホームの黄色い線から見た線路は草だらけ
グニャっと曲がった建物
駅前の共同住宅「ウイングとみおか」
かつては賑わっていたのでしょう…
ゴーストタウンになった富岡駅前商店街
富岡中学校の校庭に積まれた放射能汚染物入りごみ袋
東電福島第二原発エネルギー館
地域の方々との交流を目的に設立された施設。
原子力発電所の仕組みや安全性、原子燃料サイクルについて説明している。
建物はエジソン、アインシュタイン、キュリー夫人の生家がモデル。
館内には幼児が遊べるコーナーもあり、原子力を、楽しみながらしかもタダで学べるぞ。
以上は東電の宣伝文句です…安全ではなかったのです。
福島第二原発へ向かう橋
安全に作業してほしいと願いながら見ていました。
放射能汚染物のゴミ袋詰め作業中の労働者 草刈り中の労働者(除染作業)
気温30℃を超えていても、重装備で働いていました。
旅行計画では、立ち入り禁止線直前まで行くことになっていましたが、時間がなく引き返しました。
バスを降りると、放射線量測定をしていましたが、色も匂いもないので、心配でした。
地震と津波だけだったら、もう復興できていたと思います。
昼食のため小名浜に向かい、その後は塩谷崎へ出発です。
塩谷崎は『大津波が来るとは思ってもいなかった』と言う地域でした。
明日は塩谷崎・薄磯地区の被災状況を書きたいと思います。