私は事務所に向かっていた。ワンルームマンションの一室を占めるだけの、小さな事務所。いつものように書類を提出して、少し雑談して帰るつもりだった。事務所は三階にある。三階なら、エレベーターを使うまでもない。外階段を使って上がろう。
マンションの裏手に回る。マンションというものはたいてい、表側は小ぎれいだが外階段は殺風景だ。このマンションもご多分に漏れず、踏み段はコンクリートがむき出しで、壁は申しわけ程度に吹き付け塗装がされているに過ぎない。
コンクリートの段を一段ずつ上る。無彩色の空間がコマ送りで背後に流れていく。気がつくと、下から別の足音が聞こえてきた。もうひとり階段を上り始めたのだろう。勢いよく体重をかけている。男性だろう。下に響く足音は次第に速くなる。
私は二階を通り過ぎ、三階へと向かった。下から聞こえる足音も速くなった。私も足を速める。下の足音はさらに速くなる。踊り場を折り返す。視界の片隅を、二階を素通りする男の姿がかすめた。
三階に差しかかる頃、既に私は全力で階段を駆け上がっていた。男も階段を駆け上がってくる。
どこかで男をやり過ごしたい。気がつくと、私は三階を通り過ぎ、四階を目指していた。男は、さらにスピードを増して迫ってくる。何とか振り切りたい。踊り場を走り抜ける。四階へ。
折り返しざまに振り返ると、舟のようにすぼめられた手のひらが目の前にあった。口をふさがれたかと思うと、その勢いのまま、頭を壁に押しつけられた。吹き付け塗装のざらついた壁がチクチクと後頭部に当たる。ゴツゴツとした手のひらの先に太い腕が伸びている。
私はどうなる? 何をされる?
男の腕を取り巻いて筋肉のすじが走っている。その奥に、肌色の濃い男の顔。無機質な目。男の肩越しに、灰色をした隣のマンション。夏の日差しに白くかすむ淡い空。水で溶いたように透き通った空。天気予報のままに晴れ渡った空。
目が覚めました。夢でした。
あー、怖かった。
口をふさぐ手のひらの感触と、太い腕、透き通った空の印象が、いつまでも残っていました。
マンションの裏手に回る。マンションというものはたいてい、表側は小ぎれいだが外階段は殺風景だ。このマンションもご多分に漏れず、踏み段はコンクリートがむき出しで、壁は申しわけ程度に吹き付け塗装がされているに過ぎない。
コンクリートの段を一段ずつ上る。無彩色の空間がコマ送りで背後に流れていく。気がつくと、下から別の足音が聞こえてきた。もうひとり階段を上り始めたのだろう。勢いよく体重をかけている。男性だろう。下に響く足音は次第に速くなる。
私は二階を通り過ぎ、三階へと向かった。下から聞こえる足音も速くなった。私も足を速める。下の足音はさらに速くなる。踊り場を折り返す。視界の片隅を、二階を素通りする男の姿がかすめた。
三階に差しかかる頃、既に私は全力で階段を駆け上がっていた。男も階段を駆け上がってくる。
どこかで男をやり過ごしたい。気がつくと、私は三階を通り過ぎ、四階を目指していた。男は、さらにスピードを増して迫ってくる。何とか振り切りたい。踊り場を走り抜ける。四階へ。
折り返しざまに振り返ると、舟のようにすぼめられた手のひらが目の前にあった。口をふさがれたかと思うと、その勢いのまま、頭を壁に押しつけられた。吹き付け塗装のざらついた壁がチクチクと後頭部に当たる。ゴツゴツとした手のひらの先に太い腕が伸びている。
私はどうなる? 何をされる?
男の腕を取り巻いて筋肉のすじが走っている。その奥に、肌色の濃い男の顔。無機質な目。男の肩越しに、灰色をした隣のマンション。夏の日差しに白くかすむ淡い空。水で溶いたように透き通った空。天気予報のままに晴れ渡った空。
目が覚めました。夢でした。
あー、怖かった。
口をふさぐ手のひらの感触と、太い腕、透き通った空の印象が、いつまでも残っていました。