D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=3.5, SS=1/250s), ISO200, WB=Cloudy (+0), f=17mm (35mm-equivalent: 25mm)
カピタン部屋へ。客間の隅には小さな前室が設けられており、乙名 (おとな) 部屋前の通りを見下ろせました。
町娘が風呂敷包みでも抱えてこの通りを歩いていたら「いかにも江戸時代」風の写真になったかもしれませんが、当時出島は女人禁制だったので、町娘がこの通りを歩くことはありませんでした。
と言っても出島に女性がひとりもいなかったわけではなく、出入りを認められていた女性もいました。
遊女。
出島のお偉方、あんたも好きねぇ。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=6.3, SS=1/125s), ISO200, WB=Sunny (-1), f=24mm (35mm-equivalent: 36mm)
カピタン部屋でひときわ目を引くのが、この青緑色の窓枠や手すりです。当時の絵にも手すりが緑色に彩色されたものがあり、確かにこの色に塗られていたようです。
そう言えば、東山手の洋館群も手すりが青緑色に塗られていました。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=3.5, SS=1/400s), ISO200, WB=Cloudy (+0), f=32mm (35mm-equivalent: 48mm)
このベランダがあるのは涼所。床は板張りで、すぐ目の前は海でした。今では周りの海もすっかり埋め立てられて路面電車が走っていますが、当時は打ち寄せる波の音も聞こえたことでしょう。
オランダ船が日本にやってきたのは年に1便、2隻だけ。一度出島にやってくると、どんなに短くても1年は滞在しなければなりませんでした。オランダ人はこのベランダから海を眺め、遠い故郷に恋い焦がれては、次の船がやってくるのを心待ちにしていたとか。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=3.8, SS=1/400s), ISO200, WB=Sunny (-1), f=38mm (35mm-equivalent: 57mm)
こちらは図書室。ここにはオランダ船によって持ち込まれたさまざまな洋書が置かれ、通詞を経て蘭学 (らんがく) が日本に浸透していきました。
この日はぽかぽか陽気に恵まれ、図書室の畳にも春の日差しが落ちていました。こんな暖かい日には畳の感触が気持ちいいのですが、それでもオランダ人は靴を履いたまま部屋に上がっていました。もちろん、寝るのはベッドの上。
オランダ人が土足で部屋に上がるのなら、畳なんか敷かなくてもよかったはずです。しかし、建築に動員されたのは日本の職人。当然、西洋の建物なんか建てられるはずもなく、日本家屋が建ち並びました。内装も純和風。畳敷きです。出島には短期間で建物を建てなければならず、西洋人の生活様式まで意識する余裕がなかったからだと言われています。
それでも、後から畳敷きをやめてフローリングに改装することもできただろうに、と思うのは私だけでしょうか。板の間を造る技術は確立されていたはずですから。
D70s with SIGMA 17-70mm F2.8-4.5 DC Macro thru Kenko Pro1D Protector (W), Manual exposure (F=3.5, SS=1/640s), ISO200, WB=Sunny (-1), f=17mm (35mm-equivalent: 25mm)
窓枠にはめられたガラスにはムラがあり、気泡も入っています。当時はこんなガラスが作られていたのでしょう。何のにごりもなく透き通ったガラスが当たり前の現代から見ると、このムラや気泡が新鮮です。
この窓はヘトル部屋の2階にあります。ヘトル部屋はカピタン部屋の隣に位置する建物で、商館長次席が居宅として使っていました。
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