日本人は、民主主義を知ってるつもりでいますが、実は日本人の知っている民主主義が似非であることに気付いていないのです。 日本人が民主主義だと思いこんでいる考え方は、都合良く捩じ曲げられており自由、平等の本質についても勘違いしています。
人間の権利が、全ての人に均等に割り振られていると考えていますが、この考えは逆に不平等を生み出します。 社会においては努力や功績によって評価される価値が考慮されなければ、本当の意味での平等とは言えません。
基本的に均等に自由、平等と言える部分は個人の範囲に有るものであって、社会においては立場や地位によって差があるのが当然なのです。
一票の格差といいますが、単純に被選挙人一人を何人で選ぶかの差が人間の権利の差と考えるのは稚拙過ぎるのです。 数学を精々、九九で考えること位しか考える力が無い人たちです。 数学には、方程式や図形、微分、積分まであるのです。
もっと立体的に、時には4次元的に考える必要があります。 この一票の格差を無くしたとして、政治が何処まで変わるのでしょうか? 問題は、政治の質なんです!
選挙に立候補する人の質でもあります。 選ぶほうの質でもあります。 選ぶに相応しくない人ばかりの候補者しか居ないと判断した時の意思表示が出来ない選挙では、逆に平等ではないのです。
一票の格差より、選挙に値しない選挙に対する反対票が評価されない選挙の方が問題にされるべきです。 皆、同じ人数当たりで選挙しなければ、人権が守られていないとしか考えられない人こそ、思考力の欠如した状態です。
寧ろ、選挙に値しない候補者ばかりでも選挙に行くことを優先させる選挙こそ問題ではないでしょうか? 投票用紙に欄を設けて、投票するべき候補者が居ないという投票も出来るようにすべきと私は思います!!
人間の権利が、全ての人に均等に割り振られていると考えていますが、この考えは逆に不平等を生み出します。 社会においては努力や功績によって評価される価値が考慮されなければ、本当の意味での平等とは言えません。
基本的に均等に自由、平等と言える部分は個人の範囲に有るものであって、社会においては立場や地位によって差があるのが当然なのです。
一票の格差といいますが、単純に被選挙人一人を何人で選ぶかの差が人間の権利の差と考えるのは稚拙過ぎるのです。 数学を精々、九九で考えること位しか考える力が無い人たちです。 数学には、方程式や図形、微分、積分まであるのです。
もっと立体的に、時には4次元的に考える必要があります。 この一票の格差を無くしたとして、政治が何処まで変わるのでしょうか? 問題は、政治の質なんです!
選挙に立候補する人の質でもあります。 選ぶほうの質でもあります。 選ぶに相応しくない人ばかりの候補者しか居ないと判断した時の意思表示が出来ない選挙では、逆に平等ではないのです。
一票の格差より、選挙に値しない選挙に対する反対票が評価されない選挙の方が問題にされるべきです。 皆、同じ人数当たりで選挙しなければ、人権が守られていないとしか考えられない人こそ、思考力の欠如した状態です。
寧ろ、選挙に値しない候補者ばかりでも選挙に行くことを優先させる選挙こそ問題ではないでしょうか? 投票用紙に欄を設けて、投票するべき候補者が居ないという投票も出来るようにすべきと私は思います!!