人間の価値評価などは様々で、何が適正かなんて決められるものではないのでしょうか?
確かに個人の範囲では、物事に対する感覚や感性はマチマチで、ばらばらと言うのが実情でしょう!
しかし、国や社会という集合体の中では、全体や個人との間の相互の関係が存在する以上、相対的なバランスの取れた価値というものが存在しているべきだと思いますが、どうでしょうか?
その意味で、アメリカや日本の現状が適正な価値感覚を持っているかと言えば、疑わしいのではないですか?
確かに需要と供給の関係で、物品の価格は決まりますが例えば、アメリカの武器産業では以上に価格が高騰しています。 異常なところには異常に人が群がります。 そこには金儲けの為には、如何なる悪巧みも許されるという実情があります。
アメリカの軍需産業ほどではないですが、テレビやメディアといった業界でもコマーシャルの評価が高すぎる為に、そこに群がる人間は、受注の為には手段を択ばない現状です。 その間に介入する輩達は、幼い子供まで巻き込んで報酬を奪い合っています。
特に日本のような資格社会では、資格を得る為なら手段を選ばずという実情です。 そうして資格を得たなら、あらゆる部門で村組織を作って権益を貪ります。
適正な価値判断と言っても難しいでしょうが殆どの場合、成された努力の応じた評価がされているかどうかだと私は思います。 厳しい努力にも報われない仕事や貢献は多いです。 逆に偽りの奉仕やボランティアが高い評価を受けていたりしています。
こういった大切な部分には目を向けず、目先や見せかけの価値で人心を惑わす現代社会を質す必要があると私は、感じます。