以前にも少し、記した我が家の宿命とも言える不可思議な事実の話です。
私の家は藤井と言います。藤井の家については未だ、十分に調べていませんが、かつては愛知県の藤岡村の相当な地主であったと聞いています。
ここに記すのは母方の宿命です。私は父母共に42歳の時の子供で、母方の不可思議な部分を知ったのも、70歳を超えた最近です。
母の弟と聞いていた叔父の行方を調べて見て、母の遍歴を知りました。私が幼い頃に母の母として慕っていた栗原の、お祖母ちゃんは実は実のお祖母ちゃんではなかったのです。
母は、2歳の頃に母の父の弟が栗原家に婿養子となり、その栗原家に養女として縁組みされていました。
ところが、14歳の頃に縁組みは解消され、元の田端家に復縁していたのです。
ところが母と栗原のお祖母ちゃんの仲は、長く続いていたのでしょう!私が和歌山県の新宮市に幾度も遊びに行ったので、私はテッキリ栗原家の孫だと思っていた訳です。
この栗原家には、三人の男の子と二人の女の子が居ました。そして三男の子が栗原良雄と言い、昭和3年の頃にブラジルに移民したのです。
昔の頃は、跡継ぎが大切にされ二男、三男は立身出世を心掛けさせられたようです。その為か、この良雄さんは近所の上田家の養子となってブラジルに移民したのです。
戦後に栗原家は、上二人の男の子を戦死や病死で失い、三男の良雄さんの行方を母とお祖母ちゃんで探したのですが、不明のままに終わりました。
私が今年になって調べた結果、昭和12年の頃に良雄さんは、佐賀県から移民した船津丸トモさんという女性の入夫即ち、婿養子となっていたのです。
色々と調べた結果、東京の外交史料館に移民した人達の資料があることが解り、5時間掛けて調べて、やっと船津丸良雄さんのことが解った訳です。
和歌山県の栗原家も、昭和30年の頃には大きな家でしたが、いつの間にか保証人とされて、その家屋敷も失ってしまったようです。
藤井の家も、栗原の家も、今の私なら決して失うことはなかったでしょう!今の時代では、法律を知っていたなら財産を守ることは難しくありません。
しかし、昔は酷く杜撰で、法律を扱う人間の質も悪く、知らない人が散々な目にあったようです。
私は最近、家内の母の財産相続で不動産の登記も自分で済ませました。こうした手続きでも知らない人が損をし、余計な手数料を負担しているケースが多いです。
叔父さんについては今、佐賀県の方にお願いしてブラジルに居る厳密には又従兄の、所在を調べてもらっています。
人間の宿命も様々で、人生も様々です。残りの人生を楽しみます。皆さんにも色々な宿命があるでしょうが、短い人生ですから満喫して下さい!