果たしてボランティアは社会に対する奉仕活動なのでしょうか?
日本には昔から多くの社会奉仕をして来ています。典型的には町内会の活動やPTAの活動はボランティアですし、消防団の活動も基本的にはボランティアです。
政府や体制側の連中は、事ある毎に民間のボランティアを推進させる動きを強調します。
私は日本のボランティアは、社会奉仕ではなく、公務協力だと思っています。
それも民衆の自主活動でなく、何となく良いことをしているような錯動を促されている満足感を植え付けているに過ぎません。
典型的なのは、小中学生のボランティアを内申点に反映させて促すという教育関係者の姑息な策略です。
皆さんは幼い頃から、学校や校長から誉められたり表彰されることを喜んだことがありませんか?
日本の教育関係者や父兄は、こうした表彰や大した資格でもない検定などの評価を過大視し過ぎています。
誉められることが悪いと言っている訳ではありません。ここから記すことは、変わり者の私の私情です。
私は、私自身が何の評価も自転車いない誰か、若しくは何かに表彰されても全く、嬉しくもありません。
何かの競技などで頑張った結果については、嬉しいと思うこともあります。しかし誰かに、何かに表彰して貰う為に頑張った訳ではありませんから、表彰など要りません。
私は、表彰してやるから頑張れという連中の腹の内が嫌いなのです。増して、ボランティアなどで誉められて喜ぶ気には成れないのです。
私がすることで誰かが幸せになったり、喜んでくれるのは嬉しいです。私は子供が好きで、私を相手に子供が喜ぶ姿を見るのは最大の喜びです。
それは人から誉められたり、評価される為にすることではないのです。
国や公務が推奨する奉仕やボランティアには悪意が潜んだ陰謀でしかありません。
結局、人間の善意や奉仕は国や人から言われてするものではないのです。こう言う私は素直でないからでしょうか?
人間が本心では、自分の為に人を操る道具として悪用している人間の善意を冒涜しているのが現在のボランティアです。