ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆今日は七月一日

2014年07月02日 | 日記
 又しても七月が巡ってきた。
 此れよりさき、四年と数日すると、この世に生をうけ”四分の三・世紀(75年)”を数えることになる。
 25年を一括り(四半世紀)にして三巡目を終えようとしているのである。
 三巡目(75年)を終え、四巡目となるにあたって”あと一巡(25年)もいけるのではないか?”と勢いで、思ってしまう。
 だが、此れより先の四半世紀は、過去の時間的経過とは異なり、厳しいものであろうと未体験なことであり、想像する。
 何故なら、先人たちのあり方が、その事を示している様に思うのである。
 百歳=一世紀を過ご(生活)した親類縁者や知人を知らない事から”難しい”のだろうと思うのである。
 でも、何故、(より永く)生きたいと思うだろう。
 何か遣り残したことがあるのではないと、探しながら歩みたいから?
 きっと、今までに経験したことのない様な、良い事があるのでないかと、探しながら歩みたいから?
 しかし、考えてみれば、織田信長(ドラマで観る)が”舞う(武家達が好んだ芸能)「敦盛」”の時代から云うと、今の私でも、約四半世紀分を(余計に生かせてもらって、損得の)得していることになる?
 何故なら、織田信長等が活躍していた時代”人の世(平均寿命)”は五十年とされていた為である。
 そして、「敦盛」に出てくる「化(下は誤りでした)天」というものがある。
 「六欲天」という思想の世界で、第六番目(最下級とされる)の「化天」の住人の一日(一昼夜)は、人の世の五十年であるという。
 そして、化天の住人の寿命は五百歳だそうである。
 そうなると、人の世でいう九百万歳と言うことになる。
 織田信長は「”生”を綬けた者は、五十歳であろうが、九百万歳であろうが何時かは”滅”する」ものと、自らを戒めるため、好んで演じていたのだろうと、私は思っている。
 気負わず、過去の人達に比べ、五十歳を無事に通過出来たなら、後の人生は”オマケ”で、私の今は”オマケ”を生かされていると思えば気が楽かな!!
 そして「あいつは好きな事を遣れるだけやって逝ったなぁ!」と云われる様な結末が訪れば最良ではなかろうか?!
 何か今年の七月は、違った感覚でスタートした様である。

 蛇足:一日が五十年もあったら、どの様にして過ごすのだろう。
 七月を迎えて「もう(一年の)半分が過ぎた!(時間の経過が)早いなぁ!」何て云う感覚で無くなるのだろうか?
 そして、「一日(日中)が終わった。 さあ!寝るか!」
 人の世の平均的睡眠時間を八時間として、化天の世の十七年間の眠りとは、どの様な眠りなのだろうか?
 混乱して、よー判らんので(考えるの)止めた。 おやすみ!!
 寝付が悪いなぁ!
 人の世と化天の世では、尺度が違えばどうなる!!
 人の世の一秒が、化天の世界では1/18000秒なのかも知れない。
 だったら、同んじか!?
 (化天と言う世界に)行った事が無いので判らん!
 羊が一匹・羊が二匹・羊が三匹・・・・・・
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