娘が零歳から世話になった家族が居る。
私は、その昔・娘の臨月(誕生前)に転勤辞令があった。
娘であるかどうかは当時は知らされていなかった。
只々、無事な出産を願ったものであった。
上司の計らいで、社宅のローテーション(子供の編入学に合わせ社宅を入退居する)前に、一軒の住居が与えられた。
そして、息子と共に、実母の手助けで、新任地での業務も理解し、その任務を果たすまでになっていた。
転勤・転居後、二ヶ月程経った、ある朝、電報が届いた。
「元気な女の子」が誕生した知らせであった。
四人家族になった実感がした。
出勤してすぐさま、皆(同僚・上司)に報告した。
息子は小学校に入学し、生活も落ち着いた。
娘を迎える準備は整った。
この様な経過をを経て、隣人に助けられ、娘の”子育て”や息子の通学等、家族のありようをがあった。
とりわけ、隣家の家族には、思いもしない御支援を頂いた。
隣家は五人家族で、当主の母が日中・在宅であった。
この方(隣家の当主の母)を通じ、隣家とは、特に親しくなった。
当時、私達は、当主の母を「おばあちゃん」当主を「おじちゃん」当主の奥さんを「おばちゃん」と、そして御長女さんは「〇〇ちゃん(名前)」と呼んでいた。
お亡くなりになった”おばあちゃん”を除いて、現在でも・・・
私が帰宅する先が”隣家”になるまで、それ程の時間的経過は無かった。
四人+四人(隣家の長男が翌年・四月には大学進級のため居なくなった)の夕食が常となっていた。
歳を重ね、反省をした。
隣家の家族が帰宅すると、あかの他人の我々・家族(私の帰宅は、もう少し遅かったが・・)が居ることを・・・
そして、二年ほど前に、御迷惑をお掛けした思いを、昼食を〇〇ちゃんに企てて頂き、お伝えする事ができた。
おじちゃん曰く「その様な事があって、今もこうして話が出来ている。 良い事ではないか!」
助けられた。
それから、時間は経過し、今日に至った。
今月、〇〇ちゃんから、施設に入所中の「お母ちゃん(私が称する、おばちゃんである)が(自力で)食事をしなくなった」との連絡を頂いた。
私は、鼻から管を通してベットに横たわる”おばちゃん”を想像した。
〇〇ちゃんの日程と、私の都合を照らし合わせ、おばちゃんのお見舞いが、今日(26日)の実現となった。
久し振りに面会すると、想像した様子とは裏腹に、顔色も・色艶も良かったので安心した。
ミキサーで粉砕した食べ物を、注射器で与えているという。
気管支炎を起こしたり、栄養が足りなく、顔色も悪かったらしい。
医師の処方で、栄養剤を添加するようになって、顔色も善くなった様である。
小一時間、おばちゃんの居室に居ながらも”おばちゃん”との会話がないままに、帰ろうとして「おばちゃん、また来るね!バイバイ!」
奇跡が起きた。
おばちゃんが、小さく手を振るではないか!
私・ふくちゃんと、認識されていなくても、嬉しかった。
同席していた、〇〇ちゃんも驚いていた。
再度、手を握り締め、再び訪れることを、心のなかで誓ったものであった。
私は、その昔・娘の臨月(誕生前)に転勤辞令があった。
娘であるかどうかは当時は知らされていなかった。
只々、無事な出産を願ったものであった。
上司の計らいで、社宅のローテーション(子供の編入学に合わせ社宅を入退居する)前に、一軒の住居が与えられた。
そして、息子と共に、実母の手助けで、新任地での業務も理解し、その任務を果たすまでになっていた。
転勤・転居後、二ヶ月程経った、ある朝、電報が届いた。
「元気な女の子」が誕生した知らせであった。
四人家族になった実感がした。
出勤してすぐさま、皆(同僚・上司)に報告した。
息子は小学校に入学し、生活も落ち着いた。
娘を迎える準備は整った。
この様な経過をを経て、隣人に助けられ、娘の”子育て”や息子の通学等、家族のありようをがあった。
とりわけ、隣家の家族には、思いもしない御支援を頂いた。
隣家は五人家族で、当主の母が日中・在宅であった。
この方(隣家の当主の母)を通じ、隣家とは、特に親しくなった。
当時、私達は、当主の母を「おばあちゃん」当主を「おじちゃん」当主の奥さんを「おばちゃん」と、そして御長女さんは「〇〇ちゃん(名前)」と呼んでいた。
お亡くなりになった”おばあちゃん”を除いて、現在でも・・・
私が帰宅する先が”隣家”になるまで、それ程の時間的経過は無かった。
四人+四人(隣家の長男が翌年・四月には大学進級のため居なくなった)の夕食が常となっていた。
歳を重ね、反省をした。
隣家の家族が帰宅すると、あかの他人の我々・家族(私の帰宅は、もう少し遅かったが・・)が居ることを・・・
そして、二年ほど前に、御迷惑をお掛けした思いを、昼食を〇〇ちゃんに企てて頂き、お伝えする事ができた。
おじちゃん曰く「その様な事があって、今もこうして話が出来ている。 良い事ではないか!」
助けられた。
それから、時間は経過し、今日に至った。
今月、〇〇ちゃんから、施設に入所中の「お母ちゃん(私が称する、おばちゃんである)が(自力で)食事をしなくなった」との連絡を頂いた。
私は、鼻から管を通してベットに横たわる”おばちゃん”を想像した。
〇〇ちゃんの日程と、私の都合を照らし合わせ、おばちゃんのお見舞いが、今日(26日)の実現となった。
久し振りに面会すると、想像した様子とは裏腹に、顔色も・色艶も良かったので安心した。
ミキサーで粉砕した食べ物を、注射器で与えているという。
気管支炎を起こしたり、栄養が足りなく、顔色も悪かったらしい。
医師の処方で、栄養剤を添加するようになって、顔色も善くなった様である。
小一時間、おばちゃんの居室に居ながらも”おばちゃん”との会話がないままに、帰ろうとして「おばちゃん、また来るね!バイバイ!」
奇跡が起きた。
おばちゃんが、小さく手を振るではないか!
私・ふくちゃんと、認識されていなくても、嬉しかった。
同席していた、〇〇ちゃんも驚いていた。
再度、手を握り締め、再び訪れることを、心のなかで誓ったものであった。